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日曜コラム 日本人のニュージーランド観-NHK番組より2019-08-11

5日、月曜日の夜、ニュージーランドに息子さんを留学
させているお母さんからメールがありました
鶴瓶さんと貫地谷しほりさんがニュージーランドの家族を突然訪ねるという
NHKの番組放映中とのことでした
折よくテレビをつけてみると、番組は始まったばかり
取材地はオークランド国際空港から車で1時間ほど
北に行ったスネルビーチという町周辺でした

この時期、ニュージーランドは真冬です
鶴瓶さんも貫地谷さんも午後5時には暗くなる彼の地の田舎で
「家族に乾杯」というテーマでぶっつけ本番の取材によるバラエティー番組ですが家族探しが上手く行かず二人の表情にも落胆と焦りの色がうかがえました

焦れば焦るほど正常な手順が踏めず、衝動的、短絡的行動に陥りがちですが
ニュージーランド人の根本的な親切心から鶴瓶さん、貫地谷さんとも
焦りから解放されて家族の取材にようやくたどり着きます

貫地谷さんは、たまたま訪問した蜂蜜を扱うお店で縁を得て
国際結婚をした若夫婦と息子一人の家族
釣瓶さんは、ぶっつけ本番で訪問した小さな牧場主の紹介で
農場(あるいはワイナリーだったかもしれません)を営む家族です

この国に慣れていない二人にとって、冬のニュージーランドの小さな町での
ぶっつけ本番の取材は番組始まって以来の試練であったようです
日本の違いニュージーランドでは、とにかく人がいないのです

しかし、鶴瓶さんが巡り合うことができた田舎の家庭はとても暖かかったのです
見ず知らずの外国人訪問者を笑顔をもって受け入れる彼らの心の暖かさ
日本の文化を褒める彼らの社会的な暖かさ
子どもたちの躾のよさと親を思う気持ちの暖かさ、親の子を思う気持ちの暖かさ
そして彼らが住まう家のぬくもりは鶴瓶さんをして「家族に乾杯のすべてや」と
言わしめる暖かさ

この番組を見ている人は家族の原点としての暖かさをそこに見たに違いありません

もしかすると、忙しい日本、目まぐるしい社会の日本においては、
家族の暖かさはニュージーランドに比べると
人工的なものになりつつあるのかもしれません

そこで学ぶ日本からの子どもたちにとって
ニュージーランドは人生観を変えるほどの暖かさを持ちうる。
そこに大きな教育の原点があってもいいと思います

ボーディングスクール - 質問と自己主張に慣れる2019-08-09

日本からの留学生がボーディングスクール生活で困ること、その一つに質問がうまくできないということがあります。その主たる原因は、留学前、日本での学校生活にあるのではないかと思います。
日本の初等、中等教育においては、生徒が周囲や時間を気にすることなく自由に質問したり、意見を交換したりする場はほぼないと言えるのではないでしょうか。そのような環境からいきなりDo you have any questions?と頻繁に聞かれても、彼らが直観的にNo!としか言えないのも無理ありません。

ボーディングスクールで学ぶ欧米の生徒、そして国籍を問わずインターナショナルスルークなどで教育を受けた生徒たちは、幼少のころから質問すること、そして自分の意見を述べるという機会をふんだんに与えられています。留学生にとっては、そのような彼らの学校生活、特にクラスでのパフォーマンスは驚異でしょう。質問の自由さや自分の意見を述べるタイミングやその内容に圧倒されることでしょう。

日本からの留学生はおとなしい、寡黙、勤勉、従順だが質問はなく、自己主張がみられないというのが、先生方の印象です。その留学生が新たな教育環境に慣れ、適応するために最初の1学期(9月~12月)間くらいはかかります。

欧米においては、自分の意見を述べるということは、日本でいえば「空気を読む」ことに匹敵するくらいに重要です。特に、ボーディングスクールという少人数クラス(1クラス15名ほど)においては、先生と生徒とのコミュニケーションが中心となる授業なので、留学生にとっては今までの学ぶということのパラダイムシフトが起きることになります。

留学生が最初に体得することは、質問は授業においては、尊重されるべき構成要素の一つであるということです。覚えることよりも考えることが重視される教育においては、学ぶ側が納得いかないことは、その場で解決することは当然とみなされます。したがって、授業中でも生徒は自由に質問をします。自己主張は質問の発展形と考えていいと思います。

ボーディングスクールでは、日本式のクラスはなく、生徒が授業ごとにクラスを移動します。先生は基本的には、自分の部屋がクラスと繋がっているので、日本のような職員室はありません。従って、休み時間は専らクラスとクラスの移動に使われるボーディングスクールの生徒たちにとって、授業そのものが先生とのコミュニケーションの最良の場ということになります。

質問や自己主張は授業によって鍛えられ磨かれることになります。


ボーディングスクール - 教育の多様性2019-08-06

今までランク3以上のボーディングスクールについてはかなり述べてきましたが、ランク2および1については皆無といっていいと思います。しかしながら、TABSに属していないランク2、1のボーディングを中心とした学校はアメリカに100校以上は確実にあり、現代の教育の多様性をカバーするべくとても重要な役割を果たしているといっていいと思います。

ランク2、1の学校とはどのような特徴があるのでしょうか。

これらの学校についてあまり情報がないのは、日本からの留学生を受け入れるための基本条件としてのESLクラスがランク3の学校群よりも充実していないことによります。しかし、英語力不足イコール入学出来ないと考えるのではなく、10代半ばまでの生徒たちの言語習得能力を生かし、全生徒数が150名以下の小規模ボーディングスクールの生徒一人ひとりに対するサポートの良さと生徒の多様なハンディに対する専門的知識とを組み合わせれば、日本からの留学生を受け入れてくれるボーディングスクールを探すことは可能ではないかと思うのです。

最も重要なことは、出願する生徒がボーディングスクールでの寮生活に対して挑戦する意欲を持てるかどうかです。この気持ちがあれば、受け入れ校のアドミッションスタッフも日本からの留学生を好意的に考えてくれます。
英語力がなくても、最初の3か月くらいは、与えられたクラスでの聴講と英語力不足を補う個人授業などを組み合わせて留学生のためのオリジナルカリキュラムを考えてくれる可能性があります。

日本では努力不足、勉強不足などと40名ほどのクラスでは個別サポートや配慮が受けられず、それをカバーするための塾や家庭教師でも専門的な知識不足でその生徒に合った学習、サポート方法などのノウハウがないため結局はうまく行かないケースも多いのではないかと思います。

学習障害と一般的に呼ばれている生徒に対して、教育の可能性がより広くそして深く研究開発される時期に来ているのではないかと思います。

日曜コラム 教育の原点にあるもの2019-08-04

教育の原点にあるものはやる気であると思います
不思議なことに日本においては、原点の研究がそれほど進んでいないようです
例えば、これから英語に関して4技能が大学入試で導入されるそうです
英語の需要が高まっていて、これからの時代英語教養は必須というのが
その根拠のように思いますが、教育ということの原点、やる気からすると
それを受ける主人公である生徒たちの反応は
必ずしも積極的ではないように思います

英語を読み、和文を英訳することでさえ大変なのに
更に話す、聞くも試験に加えられてはたまったものではないという
彼らの声に耳を傾けている人々はどれほどいるでしょうか

日本の場合、初等、中等教育においては、生徒たちの選択の余地は
ボーディングスクールに比べると驚くほどに低くなります
テンスクールズの教育が世界から注目されるのは、その内容の豊富さと
質の高さに他なりませんが、4学年(9年生から12年生)で総生徒数800名
余りに対して、彼らが選択するクラス数は400にも達するのです
興味ある事に対しては、高校生でありながらもより広く、深く学ばせる
更には、大学での学習も能力次第で可能と考えるのがボーディングスクールです

もちろん、生徒たちの能力は学習分野のみならず、体育、芸術、音楽等の
分野においてもこの時期開花しますから、伸ばす機会はなるべく与えようと
するのがボーディングスクールの教育でもあります

日本の教育、特に初等、中等においては、能力別クラス編成という場合、
その目標とするところは、大学入試であるような気がしてなりません
終身雇用制度や年功序列が消滅しつつあるなかで
なぜ、教育の分野では、未だに大学が偏差値によって選択の基準となり
大学入学の序列が成り立っているのでしょうか

英語を学ぶ技術を変えたところで、それを実行する生徒の意識が
変わらなければ結果は容易に想像できます
教育の原点にあるもの、それはそれを受けるものがより輝き
より貪欲に求める必然が必要に思えてなりません
教育の質を向上させるためにも中等教育時代に、教育が世界で選択できる
環境を整備することが今求められていることのように思います

ボーディングスクール - 直観力の養成2019-08-01

誰しも長い人生のなかで重要な判断を迫られたとき、直観的な即断をした経験がないでしょうか。蓄積された知識や情報を引き出して分析し判断するという順当な方法によらずこころの赴くままの判断が意外と自己の人生の大いなる部分を占めているようなことはないでしょうか。

直観力の養成を学問あるいは教育として捉えそのための学習をするというようなことは日本の初等、中等教育には見られないように思います。対象的にボーディングスクールの教育においては、自然発生的に生徒の直観力を近年大切にするような教育が行われているように思います。
例えば、日常の授業でのIT機器の導入です。また、スポーツ、芸術、音楽活動のプログラム化です。更には、グループによる課題研究や発表、そして生徒独自のプロジェクト(課題研究)の追求などです。
ボーディングスクールの教育は生徒に広範な選択肢を与えることを恒とします。決められた科目や覚えるべき事柄を徹底して学ぶのではなく、生徒の発想や着想を大切にするとともに、学習行動の範囲に幅を持たせることで、彼らの直観力を尊重するという姿勢を伺うことができます。

これからの世の中、既存の知識の積み重ねでは予測できないことが頻繁に起こっていくことでしょう。そのような現実にこれからの若者が対応しなければなりません。今までであれば、社会にでることによって、自分の所属した組織や団体がその構成員を教育し育てたのでしょうが、それは「今は昔」の話になってしまったように思うのです。

今まで通り、中等教育時代まで一所懸命に支持された学習課題をこなし、結果として入学した大学では、新たな価値観や社会観を組み立てて行くという時代はそろそろ終わろうとしています。
中等教育は高等教育へ行くための手段ではなく、そのものに価値を見出さなければ受ける側が納得しないという時代がグローバルではないかと思います。