寮生活の基本-自己責任について2011-02-08

はじめての寮生活は留学生にとって楽しくもあり、辛くもある両刃の剣のようなものであると思います。日本からの留学生でボーディングスクールを卒業するまで盗難にあったことが一度も無いという生徒は皆無といってよいでしょう。またルームメイトにすべて恵まれた人もほとんどゼロに等しいと思います。先生についても同じです。ボーディングスクールであなたが教わるすべての先生が「今を生きる」のロビン・ウイリアムスのような生徒を思い、慈愛とユーモアにあふれた人であることは不可能に限りなく近いといえます。
経済的に自立していない未成年者が親元を離れて生活するということはボーディングスクールに限らず、大変なことです。加えて言葉が満足に通じない。そんな環境にありながらなぜ100人のうち、卒業を達成できずに帰国する生徒(転校を除きます)は2-3人にとどまるのでしょうか。何度も言いますが、10代の若者の適用能力は素晴らしいものであることが良く分かります。
ボーディングスクールライフをより合理的に考えるために欧米人に当たり前で日本人には耳慣れない自己責任の概念を説明します。それによって、彼らの思考パターンを理解できれば語学力にかかわらず、あなたは一段高いところからボーディングスクールライフを俯瞰できると思います。


日本の社会では組織が個人よりも重んじられ、その維持のために協調することや、相手を理解するということが強く求められます。そうすることで相手も自分も人様の前で恥をかかないですむ。ですから、老若男女を問わず、空気が読めない人は現代でも嫌われるわけです。これは明らかに聞き手の責任が重んじられる「理解責任」文化です。会議やセミナーで質疑応答の時の様子も日本の文化を反映しています。全体の雰囲気から質問が出ない。しかし、終わった後に質問の列が出来る。


英語圏では事情が違い、伝える側の責任が重んじられます。相手に分かるように説明できる人が賢い人といえば分かりやすいでしょう。聞き手に期待しない。どんな人にでも理解できるように説明責任を全うできる人が賢いということです。また、説明責任を全うできない人については、聞き手も話を理解していないことを相手に伝えます。アメリカの歴史を飾る偉大な人たちはすべからく誰もが感動しおもわず覚えたくなるような名せりふをはきます。リンカーンしかり、故ケネディ大統領しかりです。誰にでも理解できる具体的内容とその感動的表現、欧米は話者責任重視文化であると私は思っています。


さて、日本の価値観で育った若者が何の精神的免疫も持たずに正反対とも言える文化に飛び込んでゆく。何が起こるかは想像に難くありません。盗難、ルームメイトとの不仲、先生への苛立ち、聞き逃しによる理不尽な罰則、理解文化に慣れてきたので、説明責任という概念があまい。英語が理解できないということを盾に取り、事態をあいまいにしてしまう。実はそのあいまいさの中で少しずつ自分へのふがいなさや甘さの認識がおこり、無意識に説明が重要であることを理解し、異文化への適応を起こせるのが私たち人間に文化を超えて備わっている生きる力です。ですから、海外から発信されるわが子からのネガティブ情報にお母さんはじっと耐えなければ子供は成長しないのです。
人を攻撃するわが子に同調してはならないのです。彼らの長い先を考えれば考えるほど、彼らの生きる力や適応力を信じて、見守り励まし元気づけ彼らが精神的に自立することを促さないといけないと思います。
こんなとき、一般のお母さんは不思議なことかもしれませんが、欧米的になる人が多いのです。わが子の話が終わらないうちに、とにかく事態を説明して、その解決策をとつとつと説くのです。名スピーチによって説明責任を全うしようとする。ところが、それを聞いても本人は「理屈じゃあない。問題は現場にある」が本音でしょう。日本の子供たちは自己責任をやかましく言われて育てられてはいませんからその点では仕方がないのかもしれません。


寮生活のゴールは自己管理能力を高めることにあります。そのために人の力と組織の力を借りるわけです。


自己責任すなわち「自分が悪い」という認識は対策を伴わないと進歩がありません。そのためには間違えから学び予防をして同じ間違えはくりかえしてはいけません。「あなたが悪い」、「それを防ぐには具体的に・・・」というのは第三者から言ってもらうことにも効果があります。そのためのボーディングスクールは100年あまりの学習を積み重ねている組織なのです。

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)