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日曜コラム-♯7 自己を追求する2019-12-15

<木曜日のブログに続きます>
中学校時代、私に強烈な英語学習のインパクトを与えてくれた田中先生の思い出からアメリカ留学時代に戻ります。

英語の先生に成りたかった私は、英語をコミュニケーションの道具として使うことに長けなければいけないとして留学しましたが、最初の英語学校で私が入ったクラスでのヨーロッパと南米の生徒の英語力に衝撃を受けてから数か月、サンフランシスコ郊外の短大で学校生活を送ることになります。

入学当初の専攻はコミュニケーションでした。その理由は、現地で知り合った日本人留学生N君がその専攻であったからです。
彼は、お父さんが国際線のパイロット、お母さんが国際線のフライトアテンダント(当時はスチュワーデスと言っていました)でした。とてもフレンドリーで、自らがニューヨークで小学校時代を過ごしたいわゆる帰国子女で、英語でのコミュニケーションには問題なかったのですが、なぜか、N君は自分で留学手続きをせずに、私と同じ留学コンサルタントを通じてサンフランシスコまでやってきていたのです。私は留学先のサンフランシスコで偶然に彼と出会うという幸運に恵まれました。

二人して共通の話題といえばお世話になった留学コンサルタントさんです。その方は現在、アメリカ在住でおそらくビリオネアでしょう。とてもユニークな人でした。当時、N君と私は、会う度にその人の批評で盛り上がっていたのですが、まさか私が留学を終えて、その人の会社でコンサルタントして働くとは当時夢にも思っていませんでした。

さて、コミュニケーションという専攻で履修科目を決めて授業を受けてみると、オーラル(口頭)によるコミュニケーションが主体であることが解りました。授業は対話技術や口頭伝達技術を磨くもので占められていたので、将来、英語を教えることを夢にしていた私には、オーラルコミュニケーションよりも読み書きに重点を置くため、専攻をHumanities(人文学)に変えました。

私が取った授業は、哲学、ギリシャ神話、ヨーロッパ中世美術史、民俗学、英語101、ESL(ライティング、リーディング)でした。今、考えてみるとなんと無謀な履修でしょう。日本から多少英語ができる程度の学生が、コミュニティーカレッジとはいえ、いきなりネイティブでも敬遠するようなクラスを取ったのです。このクラス取りが出来たのもひとえに若さとしか言いようがありません。

当然、授業に出ても、さっぱりわからない。ところどころ聞き取れても、脈絡などつかめない。そこで私は各授業、最前列に座り、授業を録音するという、前例のないことをやります。先生に録音の許可を求めると、みな一様に驚きの表情ですが、その目は好意的視線でした。
つづく

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