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♯6 ボーディングスクール留学-自己を追求する2019-12-12

<火曜日のブログに続きます>
自らの2年間の留学を振り返って、そこで得た経験をコンサルタントとして活かすことができて私は幸運だったと思います。1979年春ころに渡航し、1981年の暮れにサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジを越えたマリン郡にあるCollege of MarinでAA(Associate in Arts) 、日本でいうところの準学士の単位を取り終えて1月に帰国し2月にはすでにカウンセリングを行っていました。

私の留学の動機は、英語の先生になるための英語力の習得でした。英語の先生なのに英語が話せないのはおかしいと思ったのです。その原点に私が中学2年生の時の英語の先生、田中先生がいます。

大学を卒業したての田中先生は、とても熱心に英語を教えてくれました。ボーディングスクールでいうところのQuiz(小テスト)も毎週どころか毎回やっていたように記憶しています。田中先生の熱意は、クラス一般にはあまり評判が良くありませんでしたが、私は先生の一所懸命さにこころを突き動かされ、先生の熱意に答えることこそが私の義務と思ったのです。
時まさに学生運動真っ只中です。先生は高田馬場がご自宅で、毎日、埼玉の東松山まで2時間かけて毎日通勤していらっしゃいました。馬場の駅に催涙弾による煙幕で涙が止まらなかったこともあったそうです。それでも、先生は休暇や公休を取ることもなく、英語を私たちに教え続けました。
ある日のクラスで、クラスメートの一人が役にたたない英語をどうして学ばなければならないかという問題提起をしました。先生は、全身全霊を込めて、「君たちが社会に出た時、きっと英語は役に立つから、今のうちにしっかりやるんだ。言葉は道具だ。それを使いこなせれば、君たちの世界は広がる」などと、ジェンダーフリーの言葉遣いで、右こぶしを固く握りしめ、熱く語ったのです。
その情熱に私は感化されたのでしょう。田中先生をして、私は先生という仕事にあこがれました。田中先生に英語を教わって以来、私は学年で英語だけはトップ3になりました。それが先生に対する授業への私の感謝の意を込めた意思表示だったのだと思います。

自らの留学を振り返って、私はアメリカの大学で、田中先生のような先生とたくさん出会いました。彼らを一言で言えば、学ぶこととそれを人に伝えることが好きな人たちでした。日本で経験した大学の先生とは違っていました。
つづく

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