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日曜コラム 年をとっても心は若く2019-11-17

親しいジュニアボーディングスクールのアドミションスタッフと
食事をした時、珍しく彼から年齢を聞かれました
あえて答えず、Guess!と言うと、「63」だと彼は言いましたAlmost! I’m 64
すると、彼は私に「私はいくつだと思う」と聞くのです。
58というと、「55だよ」と彼は言いました 
Oh, I’m sorry! Pardon me, my friend.

長い間、英語圏の人々と付き合っていますが、
今まで歳のことを話題にしたことは記憶にありませ
しかしながら、アメリカ人でも再会時、握手をせずハグをするような
仲になると、素直に気になることを話題にするようになるのかなとふと思いました

「私の歳を当てられてしまったよ」と家内に言うと、
「あたりまえでしょ。いくら運動をしていても、膚の張りのなさ、皺の多さからして、年相応ですよ」と直球のストライクをど真ん中に決められました
ところが、彼女曰く
「ただし、私はこころの中では、『27歳』だと思ってるの。周りはね、『若いね』なんて言ってくれるけど、本気にしちゃだめ。体は若くありません。毎日、鏡を見てね、いつも早く閉じたくなる。でもね、こころまで老けちゃったら、面白くないでしょ。だからそれでいいの。ところで、あなた(こころは)何歳だと思ってるの」

なるほどな、と私は感心しますが、なぜ27歳と特定するのか
私は問いませんでした。いわば、ど真ん中の速球に圧倒されてしばし
冷静な思考ができなかったようです
剣道で言えば、先先の先の面といったところです

私は家内ほどこころの世界が独立していませんので
体力面を考慮して、40歳くらいと勝手な自己評価を呆然と言ったのですが
27歳も40歳もさしたる違いはないのではないかと思います

テニス、剣道、バイクのサーキットランも結局は精神の賜物であり
自分自身にチャレンジという意味においては、数字的若さと関係なく
若さを維持できるかもしれません
歳に関係なく、「汝自身を知る」という命題は普遍です

若い生徒たちと話していると、私はふと、自分も彼らの仲間でありたいと思います
物理的には無理であっても、精神においては、それは可能ではないでしょうか
少なくとも、そのように考えなければ、2か月間で4回の渡航はこなせません

意地になるのかいけませんが、精神の若さを単に観念化して大切にこころに
しまっておくのではなく、可能な限り、具体的に行動に表すという
ことを、これからも習慣化したいと成田空港でUA882便搭乗を
待ちながら空想しています

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