ボーディングスクール-学校生活のなかでの電子化2019-10-03
日本の学校では当たり前と思われていることでも、アメリカボーディングスクールではそうではないことが沢山あります。その中で最も顕著なのが、学校生活の電子化でしょう。
ボーディングスクールでは、パソコンは必携でしたが、最近は入学と同時に学校が生徒にIpadやクロムブックを支給するというのが主流になっています。生徒と先生のコミュニケーションは、電子化されているといっていいと思います。もちろん、日々の授業は1クラス15名以下の少人数制で行われ、文科系授業は生徒と先生がお互いの顔を見ながら話ができる形式は全く変化していません。
先生と生徒の親とのコミュニケーションも電子化されているといっていいと思います。従来の1学年間に4回程度の成績報告は、現在は生徒各自のウェブ上のアカウントに明示され、その頻度数もより頻繁になりました。親は生徒とは別にアカウントが用意されているので、時間がある時にいつでも、我が子の成績に関しては閲覧ができます。
現実的には、書き込みまでが電子化されているわけではありませんから、あくまでも電子化は、学校生活の日常を便利にするためのシステムと言えると思いますが、ボーディングスクールにおいては、日常での紙媒体が激減しているように思います。
ボーディングスクールの通常の授業を見ていると、先生がリーダーシップを取りながら、生徒同士が歴史上の出来事や文学作品などをテーマにしてディスカッションをするというシーンは頻繁にみられますが、一方で、クループワークや個別のプロジェクトと呼ばれる研究課題のある授業もあります。それらの授業では、明らかに覚える授業から考える授業にシフトしているために、生徒はパソコンと対峙する機会が多くなります。静かに、そして各自が個別に、それぞれの「課題」に取り組んでいることが、日本の受業の常識と異なることではないかと私は思います。
電子器具と対峙することは、社会に出れば当たり前ですが、中等教育においても、ボーディングスクールは、電子化をすなおに受け入れているように思います。それがもたらす教育の差がおそらくこれから明らかになるのではないかと思います。
ボーディングスクールでは、パソコンは必携でしたが、最近は入学と同時に学校が生徒にIpadやクロムブックを支給するというのが主流になっています。生徒と先生のコミュニケーションは、電子化されているといっていいと思います。もちろん、日々の授業は1クラス15名以下の少人数制で行われ、文科系授業は生徒と先生がお互いの顔を見ながら話ができる形式は全く変化していません。
先生と生徒の親とのコミュニケーションも電子化されているといっていいと思います。従来の1学年間に4回程度の成績報告は、現在は生徒各自のウェブ上のアカウントに明示され、その頻度数もより頻繁になりました。親は生徒とは別にアカウントが用意されているので、時間がある時にいつでも、我が子の成績に関しては閲覧ができます。
現実的には、書き込みまでが電子化されているわけではありませんから、あくまでも電子化は、学校生活の日常を便利にするためのシステムと言えると思いますが、ボーディングスクールにおいては、日常での紙媒体が激減しているように思います。
ボーディングスクールの通常の授業を見ていると、先生がリーダーシップを取りながら、生徒同士が歴史上の出来事や文学作品などをテーマにしてディスカッションをするというシーンは頻繁にみられますが、一方で、クループワークや個別のプロジェクトと呼ばれる研究課題のある授業もあります。それらの授業では、明らかに覚える授業から考える授業にシフトしているために、生徒はパソコンと対峙する機会が多くなります。静かに、そして各自が個別に、それぞれの「課題」に取り組んでいることが、日本の受業の常識と異なることではないかと私は思います。
電子器具と対峙することは、社会に出れば当たり前ですが、中等教育においても、ボーディングスクールは、電子化をすなおに受け入れているように思います。それがもたらす教育の差がおそらくこれから明らかになるのではないかと思います。
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