休日コラム 変わりつつある地方都市2017-05-07
連休最後の日になりました。
春が過ぎて初夏の気候になってきました。
週末のルーティーンとして、母の特養(特別養護老人ホーム)を訪れ、
1時間ほど、車椅子で散歩をします。
特養からこの町の最も大きな神社、箭弓稲荷を往復するのですが、
人口9万人ほどの埼玉の地方都市、東松山も昔に比べて、
かなり様変わりしたことに気付きます。
私が生まれ育ったこの町ですが、人口は以前よりも増加しています。
学生時代は7万人ほどだったと思います。
しかし、今のこの町には、昔のような活気がありません。
半世紀ほど前は、熊谷市と川越市に通じる県道沿いの本町1丁目区域と、
そこから駅を結ぶ道路が賑やかで盛っていました。
本町一丁目の神輿は、重厚であり、豪華な飾りが施され、夏祭りに
町内の男衆たちによって担がれました。
大学生になった私も2-3シーズン担いだのですが、
担ぐ棒がとても重く大変だったとき、太い「わっしょい」の掛け声とともに、
大工の棟梁が同じ棒にとりつき、自分の体がふわっと浮くように
楽になった記憶がまだ残っています。
棟梁がとてもたくましく、頼りになるように思えたのもです。
夏になると祭りがあり、買い物をする商店が並び、
個人が経営する大小のレストランもあり、
こぢんまりと機能していたこの町ですが、
母と散歩するコースには、空き家が多くなりました。
今の季節、庭の植物を見れば、人が住んでいるか否かすぐわかります。
庭のない道路に面したところにある人の住んでいない家を見ると、
自分の幼少時頃から変貌したこの町に一抹の寂しさを感じます。
皆おおよそ70年代に建てられた家ではないかと思います。
そのころ、この町には、自動車部品を製造する大きな会社が2つありました。
この町の運営に大きく貢献した2社は今ありません。
その頃の世代の人たちの多くがこの町から独立していき、
その代わりに、都心で仕事をする人たちが、交通至便なこの地方都市に
移り住むように成ったと思います。
地元の世代の変化はこれからも続いていくと思います。
その変化を乗り切っていく新しい世代は、それなりの知恵と工夫が必要でしょう。
変わりつつある地方都市に、新たな可能性を見出すため、
教育という分野で何等かの貢献ができればと思います。
春が過ぎて初夏の気候になってきました。
週末のルーティーンとして、母の特養(特別養護老人ホーム)を訪れ、
1時間ほど、車椅子で散歩をします。
特養からこの町の最も大きな神社、箭弓稲荷を往復するのですが、
人口9万人ほどの埼玉の地方都市、東松山も昔に比べて、
かなり様変わりしたことに気付きます。
私が生まれ育ったこの町ですが、人口は以前よりも増加しています。
学生時代は7万人ほどだったと思います。
しかし、今のこの町には、昔のような活気がありません。
半世紀ほど前は、熊谷市と川越市に通じる県道沿いの本町1丁目区域と、
そこから駅を結ぶ道路が賑やかで盛っていました。
本町一丁目の神輿は、重厚であり、豪華な飾りが施され、夏祭りに
町内の男衆たちによって担がれました。
大学生になった私も2-3シーズン担いだのですが、
担ぐ棒がとても重く大変だったとき、太い「わっしょい」の掛け声とともに、
大工の棟梁が同じ棒にとりつき、自分の体がふわっと浮くように
楽になった記憶がまだ残っています。
棟梁がとてもたくましく、頼りになるように思えたのもです。
夏になると祭りがあり、買い物をする商店が並び、
個人が経営する大小のレストランもあり、
こぢんまりと機能していたこの町ですが、
母と散歩するコースには、空き家が多くなりました。
今の季節、庭の植物を見れば、人が住んでいるか否かすぐわかります。
庭のない道路に面したところにある人の住んでいない家を見ると、
自分の幼少時頃から変貌したこの町に一抹の寂しさを感じます。
皆おおよそ70年代に建てられた家ではないかと思います。
そのころ、この町には、自動車部品を製造する大きな会社が2つありました。
この町の運営に大きく貢献した2社は今ありません。
その頃の世代の人たちの多くがこの町から独立していき、
その代わりに、都心で仕事をする人たちが、交通至便なこの地方都市に
移り住むように成ったと思います。
地元の世代の変化はこれからも続いていくと思います。
その変化を乗り切っていく新しい世代は、それなりの知恵と工夫が必要でしょう。
変わりつつある地方都市に、新たな可能性を見出すため、
教育という分野で何等かの貢献ができればと思います。
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