高校生の留学体験 − お母さんの底力(池田章子さん)2012-05-17
章子さんの一年留学のきっかけは留学前年、一か月間のアメリカでのホームステイでした。良いところばかりではない、というよりもつらいことのほうが多い一年間留学になることは、旅立ちの時には考えてもみなかったと彼女は回想しています。
留学スタート、英語力不足でつまずき、パニック状態。三ヶ月後、夜中の三時ころまで勉強してやっとどうにかクラスに追いつくという状態に、自分のふがいなさ、憤りさえも感じたそうです。英語を聞くことに慣れても、こんどは言いたいことが言えずに語学力のなさから解放されません。
バスケットボールチームに参加することで、語学力が飛躍的に伸び、「友だちと話すことが楽しくてしょうがない」という状況に章子さんはホストファミリーに最上級の感謝と尊敬の念を持つに至ります。
勉強しすぎの彼女を見かねて、ホストマザーは「がんばることはとても大切なこと、でも、できないということを認める勇気も必要よ」と章子さんにアドバイスをしたそうです。「自分自身で目標を決めて、達成できたら自分をほめてあげなさい」とのアドバイスに章子さんは救われます。彼女は人の意見をすなおに聞き、それを受入れ、実行できる能力を持っていたと言えると思います。
さて、努力家であり、勤勉さも相当なレベルの章子さんですが、その彼女を根底から支えたのは、日本のお母さんではないかと私は思います。章子さんのナチュラルマザー(実母:ホストマザーと対比して使われるようです)は、何度も本人やホストファミリーにお手紙を出したそうです。eメールが行き渡っていた時代ですが、あえて紙の手紙を送るというお母さんの努力は、章子さんのこころの落ち着きにどれだけ寄与したことでしょう。また、ホストマザーの章子さんのお母さんのからの手紙にどれだけ母親意識を共感したことでしょう。お母さんの底力は、見えないところで章子さん、そして彼女の周りの人を感化したと思います。
私は、今までいろいろなお母さんを見てきました。一人ひとりが個性的な人です。英語のできるひともたまにはいますが、八割ほどのお母さんは英語が堪能ではありません。ご自身が仕事をもっている人が半分以上です。お母さんはみな忙しく、家事、お父さんの世話、そして子どもの世話を黙々とやっています。そして、留学したわが子への気遣いも、当然のことながら日々の生活のなかでとても優先順位の高いことです。母は強いのです。
留学を終えた章子さんは、「明るくなった」と良く言われるそうです。そうでないとやっていけない、そんなたくましさを彼女は留学で獲得しました。苦労から学んだ人生観は彼女の社会人のベースとなると思います。自分に起こることを受け入れることと、周囲の人に感謝の気持を持つに至る章子さんですが、お母さんへの感謝の気持ちが一番大きいと思います。
(*注:池田章子さんの手記は成功する留学、小・中・高生の留学2001−2002、110ページに掲載されています。)
留学スタート、英語力不足でつまずき、パニック状態。三ヶ月後、夜中の三時ころまで勉強してやっとどうにかクラスに追いつくという状態に、自分のふがいなさ、憤りさえも感じたそうです。英語を聞くことに慣れても、こんどは言いたいことが言えずに語学力のなさから解放されません。
バスケットボールチームに参加することで、語学力が飛躍的に伸び、「友だちと話すことが楽しくてしょうがない」という状況に章子さんはホストファミリーに最上級の感謝と尊敬の念を持つに至ります。
勉強しすぎの彼女を見かねて、ホストマザーは「がんばることはとても大切なこと、でも、できないということを認める勇気も必要よ」と章子さんにアドバイスをしたそうです。「自分自身で目標を決めて、達成できたら自分をほめてあげなさい」とのアドバイスに章子さんは救われます。彼女は人の意見をすなおに聞き、それを受入れ、実行できる能力を持っていたと言えると思います。
さて、努力家であり、勤勉さも相当なレベルの章子さんですが、その彼女を根底から支えたのは、日本のお母さんではないかと私は思います。章子さんのナチュラルマザー(実母:ホストマザーと対比して使われるようです)は、何度も本人やホストファミリーにお手紙を出したそうです。eメールが行き渡っていた時代ですが、あえて紙の手紙を送るというお母さんの努力は、章子さんのこころの落ち着きにどれだけ寄与したことでしょう。また、ホストマザーの章子さんのお母さんのからの手紙にどれだけ母親意識を共感したことでしょう。お母さんの底力は、見えないところで章子さん、そして彼女の周りの人を感化したと思います。
私は、今までいろいろなお母さんを見てきました。一人ひとりが個性的な人です。英語のできるひともたまにはいますが、八割ほどのお母さんは英語が堪能ではありません。ご自身が仕事をもっている人が半分以上です。お母さんはみな忙しく、家事、お父さんの世話、そして子どもの世話を黙々とやっています。そして、留学したわが子への気遣いも、当然のことながら日々の生活のなかでとても優先順位の高いことです。母は強いのです。
留学を終えた章子さんは、「明るくなった」と良く言われるそうです。そうでないとやっていけない、そんなたくましさを彼女は留学で獲得しました。苦労から学んだ人生観は彼女の社会人のベースとなると思います。自分に起こることを受け入れることと、周囲の人に感謝の気持を持つに至る章子さんですが、お母さんへの感謝の気持ちが一番大きいと思います。
(*注:池田章子さんの手記は成功する留学、小・中・高生の留学2001−2002、110ページに掲載されています。)
高校生の留学体験 − 生物のクラス(成田裕明君)2012-05-16
「僕に困惑する先生の表情を目にすることが多かったのは事実だ」と自分の留学生活の始まりを回想する成田裕明君ですが、留学当初は相当に苦労したと思います。学習面か、あるいは勝手の違う学校生活において、彼は問題児扱いされることもたびたびあったそうです。
アメリカに留学する生徒にとって、学習面でみな一応に苦労するのが生物とアメリカ史です。この二つの科目は高校卒業のための必須科目です。アメリカ史の難しさは、日本とは全く違うディスカッション形式の授業と、歴史事実知識の確認のみならず、自分の意見を求められるテストにあると思います。
また、生物の難しさは専門用語がたくさん出てくること、内容説明の英語の複雑さであると思います。物理系の分野であれば、数学知識でカバーできる範囲が多いでしょうが、生物においては、たとえば光合成という一つのテーマを学ぶにしても、細胞組織、葉緑素やその働きなど、新出単語と説明のための長文は、日本からの留学生にとって相当の学習負担を強いられるでしょう。
裕明君は、生物クラスを取ります。あえて取ったのではなく、同年代の現地生徒と同じようにこのクラスを取らされたわけです。彼は、先生からクラス替えを勧められます。辞書にも載っていないような単語が当たり前、先生への質問にも限界があります。通常であれば、留学生はすんなりと先生の「クラス替え」アドバイスに従うところです。しかし、彼の答えは「NO」でした。「(留学生という)その立場に甘えていたら、いつまでたっても周囲の目も変わらないとわかっていた」と彼はいいます。そして、自分自身を変えるためにこのクラスに残ります。
彼の信念は周囲を動かしたようです。彼の決断はチャレンジングではあるが、その態度はacceptable(受け入れられる)であると生物の先生も思ったことでしょう。当然のことながら、ホストファミリーのバックアップ、クラスメートの協力もあったでしょう。彼は生物のクラスを無事にパスします。
ネバーギブアップ精神が旺盛な彼の留学生活の後半は、「不自由さ」がひとつ一つ消えていったそうです。そして、彼の意識は徐々に、「現地に住む一人の住人として毎日を過ごそう」となり、そのための努力を重ねた結果、生活が少しずつ楽になっていきます。
「とにかく当たって砕けよ、これが留学に僕が取り続けた姿勢だ」という彼の言葉は、誇張ではないと思います。「もし、砕けてしまっても、また、ひとつ成長した自分の作り上げることができたらそれでいい」十代半ばの彼の人生哲学に私は、留学のもつ自己啓発のポテンシャルを確信し、体験者の将来に「希望」を感じます。
(*注:成田裕明君の手記は成功する留学、小・中・高生の留学2001−2002、109ページに掲載されています。)
アメリカに留学する生徒にとって、学習面でみな一応に苦労するのが生物とアメリカ史です。この二つの科目は高校卒業のための必須科目です。アメリカ史の難しさは、日本とは全く違うディスカッション形式の授業と、歴史事実知識の確認のみならず、自分の意見を求められるテストにあると思います。
また、生物の難しさは専門用語がたくさん出てくること、内容説明の英語の複雑さであると思います。物理系の分野であれば、数学知識でカバーできる範囲が多いでしょうが、生物においては、たとえば光合成という一つのテーマを学ぶにしても、細胞組織、葉緑素やその働きなど、新出単語と説明のための長文は、日本からの留学生にとって相当の学習負担を強いられるでしょう。
裕明君は、生物クラスを取ります。あえて取ったのではなく、同年代の現地生徒と同じようにこのクラスを取らされたわけです。彼は、先生からクラス替えを勧められます。辞書にも載っていないような単語が当たり前、先生への質問にも限界があります。通常であれば、留学生はすんなりと先生の「クラス替え」アドバイスに従うところです。しかし、彼の答えは「NO」でした。「(留学生という)その立場に甘えていたら、いつまでたっても周囲の目も変わらないとわかっていた」と彼はいいます。そして、自分自身を変えるためにこのクラスに残ります。
彼の信念は周囲を動かしたようです。彼の決断はチャレンジングではあるが、その態度はacceptable(受け入れられる)であると生物の先生も思ったことでしょう。当然のことながら、ホストファミリーのバックアップ、クラスメートの協力もあったでしょう。彼は生物のクラスを無事にパスします。
ネバーギブアップ精神が旺盛な彼の留学生活の後半は、「不自由さ」がひとつ一つ消えていったそうです。そして、彼の意識は徐々に、「現地に住む一人の住人として毎日を過ごそう」となり、そのための努力を重ねた結果、生活が少しずつ楽になっていきます。
「とにかく当たって砕けよ、これが留学に僕が取り続けた姿勢だ」という彼の言葉は、誇張ではないと思います。「もし、砕けてしまっても、また、ひとつ成長した自分の作り上げることができたらそれでいい」十代半ばの彼の人生哲学に私は、留学のもつ自己啓発のポテンシャルを確信し、体験者の将来に「希望」を感じます。
(*注:成田裕明君の手記は成功する留学、小・中・高生の留学2001−2002、109ページに掲載されています。)
高校生の留学体験 ― 何かかっこいいことを(*真柄順さんの手記)2012-05-15
真柄順(まがらすなお)さんにとってのかっこいいこととは、留学を通じて、「幅広い国際感覚と人間形成」をすることであったそうです。これは、彼女が留学をする前に思ったことだそうです。「しかし、本当はただ、制服や厳しい規則を離れて高校生活を送ってみたかった。アメリカを自分の肌で感じてみたかった」というのが留学後の回想です。
さて、留学初期の彼女は、高校生活を楽しむことができません。朝起きてから夜寝るまで何とか過ごすことで精一杯だったそうです。自分の良さが出ないから、友だができず、何を食べてもおいしくなく、人と話したいとも思わないという、苦難の連続。そして、彼女は「日本の自分」と決別することで、一気にアメリカ生活の機運を上昇させます。
ここでしっかり考えておかなければならないのが、「日本での自分」とは何を意味するかということです。過去の自分の説明は彼女の留学体験記には一つも記載されていません。しかし、日本にいる時とは、「変わった自分」の積極的なふるまいを彼女は熱く語ります。その基本は「何にでも(恐れず)ぶつかっていく」ことにあったようです。
週末アメフト試合の応援で声がガラガラになるまで叫びまくる、
学校のランチで食べたいメニューをクラスメイトと「奪い」あう、
雪がふれば夢中で遊ぶ、
ダンスパーティーが近づけば、お目当ての男の子とデートの夢を見る、
ひとことでいえば、彼女は「本当の自分」をすなおに認めて、そのこころのおもむくままに自分を解放したとはいえないでしょうか。なぜ彼女がそれを日本で、できなかったかというのは、おそらく「やぼな質問」でしょう。
アメリカという全く新たな環境では、親もいないし、友だちもゼロ、言葉も通じず、食べるものもまずい、そんなどん底状況から、これではいけないと這い上がる気力が持てたのが、彼女の喜びであり、プライドであり、人となりなのだと思います。
「何であんなに毎日を一生懸命過ごせたのか。今さらながら不思議に思ってしまうほど、絶大なパワーが自分のなかから湧き出ていた。人間って、がんばればどんな道だって歩けるものなのだ。それなりの楽しみもちゃんと見つけられる。」と彼女は留学生活を振り返ります。そして、「こころもからだもずいぶんとでっかくなった」と結んでいます。
異文化という鏡があったから、順さんは、自分にとってかっこいいことを見つけられたと思います。日本の文化のなかにいたら、果たして、かっこいいことを、極限まですなおに、見つめられたでしょうか。その答えを、いつか順さんに聞いてみたいと思います。
(*注:真柄順さんの手記は成功する留学、小・中・高生の留学2001−2002、107ページに掲載されています。)
さて、留学初期の彼女は、高校生活を楽しむことができません。朝起きてから夜寝るまで何とか過ごすことで精一杯だったそうです。自分の良さが出ないから、友だができず、何を食べてもおいしくなく、人と話したいとも思わないという、苦難の連続。そして、彼女は「日本の自分」と決別することで、一気にアメリカ生活の機運を上昇させます。
ここでしっかり考えておかなければならないのが、「日本での自分」とは何を意味するかということです。過去の自分の説明は彼女の留学体験記には一つも記載されていません。しかし、日本にいる時とは、「変わった自分」の積極的なふるまいを彼女は熱く語ります。その基本は「何にでも(恐れず)ぶつかっていく」ことにあったようです。
週末アメフト試合の応援で声がガラガラになるまで叫びまくる、
学校のランチで食べたいメニューをクラスメイトと「奪い」あう、
雪がふれば夢中で遊ぶ、
ダンスパーティーが近づけば、お目当ての男の子とデートの夢を見る、
ひとことでいえば、彼女は「本当の自分」をすなおに認めて、そのこころのおもむくままに自分を解放したとはいえないでしょうか。なぜ彼女がそれを日本で、できなかったかというのは、おそらく「やぼな質問」でしょう。
アメリカという全く新たな環境では、親もいないし、友だちもゼロ、言葉も通じず、食べるものもまずい、そんなどん底状況から、これではいけないと這い上がる気力が持てたのが、彼女の喜びであり、プライドであり、人となりなのだと思います。
「何であんなに毎日を一生懸命過ごせたのか。今さらながら不思議に思ってしまうほど、絶大なパワーが自分のなかから湧き出ていた。人間って、がんばればどんな道だって歩けるものなのだ。それなりの楽しみもちゃんと見つけられる。」と彼女は留学生活を振り返ります。そして、「こころもからだもずいぶんとでっかくなった」と結んでいます。
異文化という鏡があったから、順さんは、自分にとってかっこいいことを見つけられたと思います。日本の文化のなかにいたら、果たして、かっこいいことを、極限まですなおに、見つめられたでしょうか。その答えを、いつか順さんに聞いてみたいと思います。
(*注:真柄順さんの手記は成功する留学、小・中・高生の留学2001−2002、107ページに掲載されています。)
高校生の留学体験 ― 予測できないチャンスとピンチ(*中筋素生君の手記)2012-05-14
自己の一年間の留学体験を「すがすがしい一年」と振り返る中筋素生君ですが、何がどうしてすがすがしいか、ポジティブな言葉で説明してくれています。要点を網羅すると次のようになります。
・ホストファミリー(おばあちゃんひとりの家庭)が良かった
・学校でたくさんの友だちができた
・すばらしい先生やボランティア活動の人々との出会いがあった
・うまいピザが(いつでも)食べられた
・人に愛されたそして、その分人を愛せた
留学をするにあたって「いろいろと考えた」という素生君ですが、英語力のなさはかなり心配だったようです。ところが、「何とかなるサ」という気持ちで臨んだら、「本当に何とかなってしまった」と彼は言います。
「困っている時には、どこかに救いの手がある、状況を打開するうまい手があると」思うことで、気楽に思い切ってことにあたることができたそうです。そして、かれは、生きていくなかで合理性(たぶん筋道立てて考えることだと思います)と楽天性がとても重要との認識に至ります。
「生きているといろいろな人に出会う。いろいろなことに直面する。チャンスもあれば、ピンチもある。予測なんてつかないし、つけられっこない。でも、いろんなことを知るたびに(自分の)人生は少しずつ幸せになっていく。それがわかると、旅や冒険ほど楽しいものはない」という彼の留学を終えての感想は、立派で納得できる確かな人生論です。
一年だけ留学しても、これだけ自分の世界を広げることができます。それは、留学故に成し得たマジックではないと私は思います。留学を希望するひとり一人の人たちが、自分のなかの不安と戦い、漠然とした夢や希望に向かって、一歩一歩歩んでいくその努力の結果、拡がってゆく世界の視野ではないでしょうか。すなわち、拡げるのは、あくまでも自分であって、留学そのものではありません。
素生君は、「英語が話せないのに、どうして授業が受けられるだろうか」、「危険な目にあったらどうしよう、どうなってしまうだろう」、「ホストファミリーと気が合わなかったらどうしよう」、「勉強ついていけなかったらどうしよう」、など際限のない弱気な自分に押しつぶされてしまいそうになったこともあるでしょう。しかし、それを結局、打破するのも、人ではなくて自分です。
ぐずぐずと思い悩むよりも、一歩前に出よう、進もうとすれば、かならず前進すると先人たちは諭します。これほど当たり前のこともないでしょうが、そのことに確信を持つまで、人々はとても悩みます。そして、自分で選択をし、その責任を負うことで、成長していくと思います。
「留学期間は『黄金の日々』だった」という彼に、留学と人生をもう少し語ってもらいたいと思っています。
(*注:中筋素生君の手記は成功する留学、小・中・高生の留学2001−2002、106ページに掲載されています。)
・ホストファミリー(おばあちゃんひとりの家庭)が良かった
・学校でたくさんの友だちができた
・すばらしい先生やボランティア活動の人々との出会いがあった
・うまいピザが(いつでも)食べられた
・人に愛されたそして、その分人を愛せた
留学をするにあたって「いろいろと考えた」という素生君ですが、英語力のなさはかなり心配だったようです。ところが、「何とかなるサ」という気持ちで臨んだら、「本当に何とかなってしまった」と彼は言います。
「困っている時には、どこかに救いの手がある、状況を打開するうまい手があると」思うことで、気楽に思い切ってことにあたることができたそうです。そして、かれは、生きていくなかで合理性(たぶん筋道立てて考えることだと思います)と楽天性がとても重要との認識に至ります。
「生きているといろいろな人に出会う。いろいろなことに直面する。チャンスもあれば、ピンチもある。予測なんてつかないし、つけられっこない。でも、いろんなことを知るたびに(自分の)人生は少しずつ幸せになっていく。それがわかると、旅や冒険ほど楽しいものはない」という彼の留学を終えての感想は、立派で納得できる確かな人生論です。
一年だけ留学しても、これだけ自分の世界を広げることができます。それは、留学故に成し得たマジックではないと私は思います。留学を希望するひとり一人の人たちが、自分のなかの不安と戦い、漠然とした夢や希望に向かって、一歩一歩歩んでいくその努力の結果、拡がってゆく世界の視野ではないでしょうか。すなわち、拡げるのは、あくまでも自分であって、留学そのものではありません。
素生君は、「英語が話せないのに、どうして授業が受けられるだろうか」、「危険な目にあったらどうしよう、どうなってしまうだろう」、「ホストファミリーと気が合わなかったらどうしよう」、「勉強ついていけなかったらどうしよう」、など際限のない弱気な自分に押しつぶされてしまいそうになったこともあるでしょう。しかし、それを結局、打破するのも、人ではなくて自分です。
ぐずぐずと思い悩むよりも、一歩前に出よう、進もうとすれば、かならず前進すると先人たちは諭します。これほど当たり前のこともないでしょうが、そのことに確信を持つまで、人々はとても悩みます。そして、自分で選択をし、その責任を負うことで、成長していくと思います。
「留学期間は『黄金の日々』だった」という彼に、留学と人生をもう少し語ってもらいたいと思っています。
(*注:中筋素生君の手記は成功する留学、小・中・高生の留学2001−2002、106ページに掲載されています。)
日曜コラム Born this way2012-05-13
レディーガガのヒット曲、Born this way。
この曲をユーチューブで歌っていた少女をガガがフィーチャーして
ガガのコンサートに招待をしたという一連のストーリーを
テレビで見ました。
二年ほど前に、ガガに憧れ、ガガが卒業した学校に行きたがっていた
ある日本の生徒がいました。
当時、私はレディーガガという人物をよく知らず、
パリス・ヒルトンなる人物と同様にただ話題の女優
ないしは歌手ほどの認識しかありませんでした。
最近、カナダ人の小学生の女の子が、Born this wayを熱心に歌うのを、
テレビで見て、その歌詞を意識するに至り、私はレディーガガという
歌手への認識を新たにしました。
彼女はBorn this wayを自分で作詞作曲しています。
私が見たカナダ人の小学生はお父さんもお母さんもアジア系でした。
ガガとその彼女が熱唱するBorn this way。
私はすばらしいものを見たと思います。
この歌には、たくさんのYou are specialとMake a differenceが含まれています。
神を愛し、人を愛し、母を敬愛するガガ自身の生き方が描かれています。
ドラッグなどに溺れず、誇りあるクイーンになりなさいという
当たり前のメッセージがあります。
また、後悔のなかに自分を埋めていないで、自分を愛して、
納得する道をいこうと少女がBorn this wayを歌い、ガガが叫びます。
少女はすなおに、音程を外すことなく、歌うわけですが、
ガガのバックアップがとてもこの少女の歌と合うのです。
少女は無理せず、飾らず(もちろんその余裕はないでしょうが)、
集中して歌っています。
ガガが隣にいて、ハモっていることが、彼女に聞こえているかどうか。
この歌は、小学生の普通の女の子が普通に歌って、
聞ける曲であると私は思います。
さて、二年前のガガが好きだった中学生になったばかりの日本人の女子ですが、
彼女は今でも、ガガにあこがれているでしょうか。
「ガガが行った学校に行きたい」と言っていましたが、
彼女はマンハッタンにあるカソリック系の私立女子校に行ったそうです。
ボーディングスクールではありませんでした。
二年前には、ガガはBorn this wayを発表していません。
当時はとても奇抜なファッション、ステージの演出、独特のダンスなど、
創成期のころで、今ほどポピュラーではなかったと思います。
ガガはとても芯の強い人物であると私思います。
また、考え方がすなおで「神は人を完全なものとして作った」と
お母さんから聞いたことをそのまま歌にできるその精神が
私はとても好きです。
わが道をゆく自分は美しいとサラッと言い、
神様は間違えはしないからとフォローします。
私の愛するツェッペリンもほか、多くのシンガー、ミュージッシャンが、
神に必ず言及しますが、欧米においては、それが当たり前なのでしょう。
二年前の女の子ももう立派な高校生です。
いつか、彼女にガガの話をもう一度聞いてみたいと思います。
この曲をユーチューブで歌っていた少女をガガがフィーチャーして
ガガのコンサートに招待をしたという一連のストーリーを
テレビで見ました。
二年ほど前に、ガガに憧れ、ガガが卒業した学校に行きたがっていた
ある日本の生徒がいました。
当時、私はレディーガガという人物をよく知らず、
パリス・ヒルトンなる人物と同様にただ話題の女優
ないしは歌手ほどの認識しかありませんでした。
最近、カナダ人の小学生の女の子が、Born this wayを熱心に歌うのを、
テレビで見て、その歌詞を意識するに至り、私はレディーガガという
歌手への認識を新たにしました。
彼女はBorn this wayを自分で作詞作曲しています。
私が見たカナダ人の小学生はお父さんもお母さんもアジア系でした。
ガガとその彼女が熱唱するBorn this way。
私はすばらしいものを見たと思います。
この歌には、たくさんのYou are specialとMake a differenceが含まれています。
神を愛し、人を愛し、母を敬愛するガガ自身の生き方が描かれています。
ドラッグなどに溺れず、誇りあるクイーンになりなさいという
当たり前のメッセージがあります。
また、後悔のなかに自分を埋めていないで、自分を愛して、
納得する道をいこうと少女がBorn this wayを歌い、ガガが叫びます。
少女はすなおに、音程を外すことなく、歌うわけですが、
ガガのバックアップがとてもこの少女の歌と合うのです。
少女は無理せず、飾らず(もちろんその余裕はないでしょうが)、
集中して歌っています。
ガガが隣にいて、ハモっていることが、彼女に聞こえているかどうか。
この歌は、小学生の普通の女の子が普通に歌って、
聞ける曲であると私は思います。
さて、二年前のガガが好きだった中学生になったばかりの日本人の女子ですが、
彼女は今でも、ガガにあこがれているでしょうか。
「ガガが行った学校に行きたい」と言っていましたが、
彼女はマンハッタンにあるカソリック系の私立女子校に行ったそうです。
ボーディングスクールではありませんでした。
二年前には、ガガはBorn this wayを発表していません。
当時はとても奇抜なファッション、ステージの演出、独特のダンスなど、
創成期のころで、今ほどポピュラーではなかったと思います。
ガガはとても芯の強い人物であると私思います。
また、考え方がすなおで「神は人を完全なものとして作った」と
お母さんから聞いたことをそのまま歌にできるその精神が
私はとても好きです。
わが道をゆく自分は美しいとサラッと言い、
神様は間違えはしないからとフォローします。
私の愛するツェッペリンもほか、多くのシンガー、ミュージッシャンが、
神に必ず言及しますが、欧米においては、それが当たり前なのでしょう。
二年前の女の子ももう立派な高校生です。
いつか、彼女にガガの話をもう一度聞いてみたいと思います。







