ボーディングスクール-情報の公開 職員リスト2018-02-26

アメリカ、TABS加盟のボーディングスクールのウェブでは、学校職員のリストが必ずあります。単なる名前のリスティングではなく、学校での役職、担当そして、職務履歴も一般の人たちが閲覧できるようになっています。そのリストは写真付きで、職員が紹介されています。日本の学校のウェブでは、職員リストというのはみたことがありません。写真が掲載されているのは、学校トップの人たちのご挨拶、理念といったところでのみです。

ボーディングスクールの職員リスト(Faculty and Staff Directory)にはBIOというボタンがおおよそついています。BIOとはBIOGRAPHY(経歴)の略語で、そこを開くとその人がどのようは職歴を踏んできたかが簡潔に説明されています。

職員リストには、最終学歴も載せられています。

ボーディングスクールに勤務している人たち故に、多くの人がアイビーリーグをはじめとして、アメリカでも難関と言われている大学を終了していると思われがちですが、そのようが最終学歴を持つ人たちは驚くほどに少なく、公立(州立大学、コミュニティーカレッジなど)、私立の区別も日本の国立、私立に比べてそれほど顕著な傾向があるとはいえません。
学閥を作ろうにも、これだけ出身校がばらついていては、明確な基準のつくりようがありません。
また、30年、40年と一つの学校に勤務しているアメリカの就業事情でいえば、かなり珍しいといえる人たちも最終学歴と長年勤務の関係性はないようです。

ボーディングスクールのウェブでは、日本の学校ではかんがえられない程に教える人たちの個人的情報が、それも写真付きで公開されていると言っていいと思います。

学校を選択する側にとっては、とても参考になる情報です。また、職員だけでなく、学校訪問する人たちをガイドする生徒たちも、ツアー終了時に、自分の名前とメールアドレスを訪問者に手渡します。「学校について質問があれば、いつでもメールください」というのが、ボーディングスクールの訪問者に対する習慣です。

情報の公開とウェブの見せ方も日本の学校が静であり限定的であるのに対し、ボーディングスクールは動でありオープンといえると思います。

日曜コラム スポーツの力2018-02-25

冬季オリンピックが終わります。
日本人選手の獲得メダル数か過去最高だそうで、
その活躍に日本中が湧きました。
レジェンドと呼ばれた人、怪我から見事に復活した人、
予想通りの結果を出した人、期待に答えられずに涙した人、
スポーツは私たちの生活にたくさんの元気や希望を提供しています。
そして、アスリートたちは4年後を目指してすでに
活動を開始していることでしょう。

自身の例で恐縮ですが、少しばかりスポーツに興味があります。
朝の公園での運動と竹刀の素振り、昼の皇居周回ジョギング、
夜の剣道形の一人稽古、そして週末の剣道とテニスなど
ある程度、体を動かすルーティーンに慣れてくると、
それを行わないとどうも体がキレないと感じます。
出張などで数日体を動かさずに、剣道の稽古に臨むと、
思ったように竹刀が振れません。
隔週で行っているテニスも、雨や週末の都合などで、
間隔が空くと、無理な姿勢での打球が多くなり、
ミスに苛立ってしまうことが多くなります。
そのさなかにいる時は、ミスの原因を冷静に理解できず
さらにこころだけが熱くなって悪いパターンに入ります。
その度に、小さな自分を感じ、世界のトップアスリートたちの
努力とその精神に敬意を表します。

スポーツの持っている人を感動させる潜在的な力、
あの芸術的なトップアスリートたちのパワー、表現力など、
一連の動作の根底にある精神と体の融合力は、
人類の特権的財産かもしれません。

メダルを取った人のインタビューを聞いていると、
あれだけの大舞台にも関わらず、殆どの人たちが、
試合を「楽しかった」、「楽しめた」といいます。
スポーツの「根性」もだいぶ変化してきたようです。
コーチ、監督からの指示どおりに動くことが求められると
スポーツの専門家から幾度か聞いたことがあるのですが、
冬季オリンピックを見ている限り、選手たちの主体性や
自助努力といった意識の高さに目を見張ります。

日本のスポーツの世界もそのスタンダードはグローバル化していて、
選手たちの精神が高揚され、その結果が冬季オリンピックで
開花したというのは、はなはだ楽観的かもしれませんが、
この続きを2年後、東京で見ることができるのは、
希望であると思います。

日米、学びの機会について2018-02-24

日本の受験は年に一度、その試験日を逃すと
次の年までその機会を待たなければいけません。
その受験のやり方は明治以来変わっていません。
試験至上主義、その結果がすべてという歴史は
これからも変わりそうにありません。

一方、アメリカの受験では出願期間は、9月の新学期から
年明けの1月末までの5か月間が標準です。

日本であれば国立にあたるアメリカの州立大学、
その受験システムは私立と共有されていて、オンラインによる
共通願書システムですから、日本のような浪人はアメリカにはありません。

大学でやりたいことがあるから進学する。
大学の名前よりも先に自分がやりたいことを優先する。
アメリカには、私立大学だけではなく、公立大学は地元に根差ざした
コミュニティーカレッジと呼ばれる2年制の一般教養学習を
中心とした地域の人たちのための大学があります。

コミュニティーカレッジは誰でも学べます。

入学難易度はなく、地域の人々のために開放された高等教育機関です。
そこには、教えることが好きな高等教育に特化したプロフェッショナル教師も
沢山いて、ボランティア的に地域住民に開かれた成人のための
学びの機会を提供しています。

日本には学ぶ機会の多様性よりも、どこで何を学んだかという
筋道が尊重されているように思います。

日米、高等教育では、その機会の開放性と多様性は、
アメリカのほうが優っているように思います。

そろそろ日本でも進学する立場の人がその先を選択するという
意識を持ってもいいのではないでしょうか。
経済、法律といった一般的な教養はどこでも学ぶことができます。
その基本を終えてからが重要なのです。
学ぶ場所に期待しても果たしてその結果は社会で通用するでしょうか。
仮に日本の社会で通用するとしても、世界ではどうでしょうか。
グローバル社会は日本の教養尺度、学習尺度を
そのまま受け入れてくれるでしょうか。

もちろんその解答はまだ明確ではありません。
しかしながら、巷間の英語ブームを電車やマスコミで見聞きすると、
読み書きよりもコミュニケーション、それもごくごく当たり前の基本的な
やり取りが英語で問題にされているのを見るにつけ、
中等教育時代の英語学習はどうなっているのだろうかと
感じてしまいます。

受験生の皆さんの選択肢がアメリカのように日本でも
広がっていくことを私は切に希望します。

#4 中学留学生の自己認識について2018-02-23

<前日のブログに続きます>
中学校から高校にかけて異文化のなかにあって日本人としての自分を確立することの要素を3回にわたって考えてきました。アイデンティティマニュアルのようなものがあって、知識面、意識面の明確な指標があればいいのでしょうが、それはありません。

アイデンティティの確立を学習ばかりで行うことは自然ではないように思います。留学をしている子どもたちにとっては、アイデンティティ確立の基本は、自分の家にあると思います。家は故郷であり、世界のどこにいても故郷は本人を温かく本人を迎えてくれる場所であるはずです。その温かさ、こころの安らぎ、安堵感というような意識がアイデンティティの基本ではないかと思います。安心さが確保されているので留学生たちは異文化のなかでのびのびと自分らしさを発揮できるのではないでしょうか。

あるお母さんは、我が子が留学中、天声人語の切り抜きを毎日郵送したそうです。今であれば、写メで撮って、それをメール添付して送ればいいわけですが、それが無い時代、毎日のお母さんの我が子に対する労力と時間が、家族の絆を強くするうえで欠かせないものだったと思います。そのお母さんの意識のなかに、我が子に対する深い愛情が感じられます。

冬休み明けで学校に戻る途中、シカゴで豪雪のため足止めされ、電話で体調不良を訴えた我が子のため、その日のうちに日本を発ったお母さんがいました。

終末になると、かならずスカイプで2-3時間、我が子に付き合っているお母さんもいました。

少し古い話ですが、毎月の国際電話料金が20万円を超すと嘆いているお父さんもいました。

中学時代の留学においては、すべてがマニュアル通りに何の問題もなく進むというわけにはいきません。留学している本人が乗り越えなければならないのは、日本人としての自己認識という問題だけではなく、読み書きの英語力の確保とさらなる進展、学校生活での生徒間の人間関係、進路の問題など考えるべき問題や解決すべき問題はたくさんあります。

解決すべきことが多ければ多いほど、本人は成長します。その成長のプロセスのなかに家族の果たす役割は必ずあり、家族の絆は本人の日本人としてのアイデンティティの確立に大きな役割を果たします。

中学、高校という人生の第二成長期を異文化で過ごすことで、日本を客観的にみつめ、自分の将来を家族と共に設計していくことで本人のアイデンティティは立派に確立していくと信じます。

#3 中学留学生の自己認識について2018-02-22

<前日のブログに続きます>
TOEFL、SSATの準備のためにボーディングスクールに在学する中学生にとっては、夏休み、冬休み、そして春休みの活用は必須ですが、自己認識に関しても帰国中の時間の使い方はとても重要です。

小学校の高学年から中学校にかけての留学では、留学する本人のアイデンティティ、自己認識は確立していません。それが留学をさせる親にとっては一番気になるところでもあると思います。
英語の習得や異文化への適応そしてその応用までもが成人の留学と違って驚くべき速さで成される半面で、母国の慣習や文化から本人が遠ざかってしまう可能性も十分に秘めているわけです。
「こんなに早く英語が話せるようになるとは」と留学生のお母さんが喜ぶと同時に、帰国した我が子の日常のふとしたしぐさや言動が日本にいた時とは違うことへの戸惑いもお母さんにはあるはずです。

戸惑いはやがて不安になり、その不安を解消するために漢字ドリルや日本の歴史教科書などを学ばせて、日本を忘れないように、そして年齢にふさわしい日本人としての教養を身に着けさせなければと思えば思うほど、留学している我が子はそっぽを向いてしまうというのも中朝教育機関への留学生には十分に考えられることです。

ボーディングスクールの教育がいかに素晴らしいものであっても、彼らが留学生のアイデンティティについては、無関心ではないものの、そのためのクラスや補講があるわけではありません。結局、本人の日本人としての自己認識、アイデンティティの確立は親がリーダーシップをとって考える問題です。

漢字練習や日本の歴史、古典への教養といったことを意識して学習することによって本人の日本人としてのアイデンティティが確立するわけではありません。これらの要素は、本人の「日本を忘れてはいけない」という意識によってのみ生かされることです。
漢字練習は大学生になってからでも行えます。日本の歴史や古典の教養ということを学んでも使わなければ忘れてしまうのは、日本人の誰もが経験することです。

大切なのは、家族の絆だと確信します。

この絆は、基本的には、親の子を思う気持ちによって育まれ、年と共に成長する我が子に対して、その人格を尊重し、愛し続けることでゆるぎないものとなります。そのプロセスが日本であろうと、海外であろうと変わらないと私は思うのです。そうでなければ、留学のコンサルタントを37年間も続けられません。
つづく