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♯12 年末コラム-コンサルタントの使命2019-12-29

<木曜日のブログに続きます>
世界からそれぞれの生徒に合った学校を探すことを
目指して私はコンサルタントという仕事に取り組んできました

データ、情報でそれが決められるのであればコンサルタントは必要ありません

それ以外の要素を的確に把握しベストマッチを実践するために
学校を訪問するということを中心に仕事に取り組んできました
この仕事を続ける以上、現場で何が起こっているかを自身が知る必要があります
また、学校の現状や、その地域、ひいてはその国について生徒や
そのご家族に知ってもらうことをコンサルティングの基本に置いてきました

E-Conciergeを立ち上げて11年と3か月、現在の飛行マイレージは110万マイル
1年間にのべ10回ほど、海外の英語圏の学校訪問に
いろいろな生徒、ご家族と旅をしたことになります
一度の学校訪問の旅で1000マイルを超すドライブをしたことも何度かありました
それぞれの旅が私のコンサルタントとしての財産であり宝物です
学校訪問を通じて、私は生徒そしてご家族と親しくなりました
移動の多い旅で、ドライブ中や電車の中でいろいろなことを話しました
もちろん、学校情報だけではありません
私自身の留学経験、異文化に対する思い、驚きの体験、エピソードなど
熱心に聞いてくれた生徒、お母さん、お父さんがいたからこそ
私は学校訪問の旅を継続することができました

コンサルタントの使命をひとことでいえば
お世話を引き受けた生徒をやる気にさせることです

そのためにコンサルタントは学ぶことへの好奇心を
持ち続けることが必要と私は信じています
海外の学校を訪問し、「こんな素晴らしいところがある」と
まずガイド役が思わなければ、ビジターをやる気にさせることはできません
コンサルタントにとって、学校訪問はルーティーンではなく
新たなること、未知のことを発見する場です

自らの留学を含めると、40年間も異文化と接していますが
知れば知るほど、自分の無知に気付かされます
ゆえに、縁あってお世話することになった生徒と私は一緒に
学んでいくことができ、それをもって、生徒とそのご家族に貢献できるのです

異文化という環境で、学校はそれぞれの生徒を映し出す鏡であり
学校そのものに絶対的な価値があると私は思いません
学校という組織を通じて、そこで学ぶ生徒たちが
自分を知ることに価値があるのではないでしょうか
これからもknow thyselfの追求を継続していきたいと思います

ブログをご購読していただいた皆様にこころから感謝の意を表します
そして来年もまたよろしくお願いいたします
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♯11 自己を追求する-自立への道2019-12-26

<火曜日のブログに続きます>
留学コンサルタントとして、英語圏の中等教育機関、特にボーディングスクールについて知れば知るほど、日本の教育との違いが鮮明になります。施設全般の物理的な違い、学校スタッフ構成の違い、運営方法の違いなどへの好奇心が39年間、この仕事に携わることができた原動力になっています。

何度か、「学校を作ったら」というご意見をいただいたことがあります。しかし、その方向に自らが進むことはありませんでした。

世界は広く、未知の部分はほぼ無限大に存在するという思いを、おそらく私は一生持ち続けると思います。そして、学校を知れば知るほど、教育という視点で彼らと繋がれることが私にとって自分を動かし続ける精神のエネルギーとなっているのだと思います。

教育は、語るだけでは用をなしません。考え、教え、結果を出さなければ、学校は潰れてしまいます。

社会の変化の影響をもろに受ける大学は、その動向を注視し、それに見合った教育を作らなければ学生は去っていくでしょう。しかし、中等教育というのは、大学への準備期間として、社会変化の影響を直接は受けないので、教育内容も目まぐるしく変わることはないのかもしれません。朝の電車のなかで、一心不乱にノートや教科書に集中している高校生を見ると、今も昔も変わらない教育の在り方を実感します。
ひたすら暗記する、覚えることを強いられている日本の中等教育から、教育がより面白く、将来に直結し、役に立つと発想すれば、この時代、留学がより盛んになっても不思議ではなく、むしろそれが、これからの日本の必然ではないかと私は考えます。

それを進展させてゆくためには、ガイド役が必要です。そのガイドに求められるのは、世界の教育情報だけではありません。それぞれの国の文化、社会、そして習慣といったことも知り対応できなければ、10代の若者たちを異文化にうまく導けません。つまりは、ガイド役は、何よりも教育に関することを考え、知り、実践することが好きでなければならないと私は思います。

世界には、たくさんの学校があります。ゼロから立ち上げなくても、魅力のある学校はとても多くあります。それらから、自分に合った学校を探すという作業は、それ自体、考えるだけでもわくわくしてきます。
つづく

♯10 自己を追求する-自立への道2019-12-24

<先週木曜日のブログに続きます>
今年もあと一週間あまりとなりました。自らの留学体験を述べさせていただき今年のブログを終了しようと思っています。

1979年から81年、私が留学したアメリカ、サンフランシスコでの日常は、それまでの日本での学校生活では考えてもみなかったことが豊富にありました。新たな友達との出会い、大学での授業の違い、祖国から難民(レフュジー)としてアメリカに来た人々や戦争を体験した人々が身近にいる環境、1年と9か月の留学生活はあっという間でした。
この間、私は一度も日本に帰りませんでした。時間と費用、そして異文化の暮らしに慣れたせいでしょうか、帰国した場合の再適応ということを考えると、正直なところ日本に一時帰国することがとても煩わしいことに思えてなりませんでした。

この間、自らのサバイバル作戦は、今までにすでに述べましたが、ひとことで言えば、受け身から能動への学習というのが自身のサバイバルであったように思います。少なくともアメリカでは暗記学習からは解放されたように思います。
更には、学ぶということ、学習することに日本に居た時よりも苦痛や不安を感じることがなかったように思います。自分で考え、自分で決めて、自分で計画を立てて実行した留学であるがゆえにそれが出来たと思います。

留学が終わって日本に帰国した時、すべてがコンパクトにできていて、とにかく人の多い日本に慣れるまで数週間かかったように思います。
帰国して数日間、ぼやっとして祖母が見ている時代劇をテレビで見ていて、その身分の差に「なぜ同じ人間なのにこのような不平等が成り立つのか」と欧米人のような発想を持ったこともありましたが、それが長続きすることはありませんでした。

帰国してから1か月余り、私は高校教師と留学コンサルタント、いずれかの選択を迫られました。結局、自由度の高いコンサルタントを選択したのですが、英語を教えることは、コンサルタントになってからも継続しています。そして、今でも教えることは、嫌いではありません。
つづく

日曜コラム-悩める日本の受験生たち2019-12-22

「もうこれ以上、僕たち受験生を翻弄するのはやめてください」

11月に文部科学大臣から2020年度より大学入学共通テストに
導入される予定であった英語民間試験の活用を延期する旨の発表時の
ある受験生の意見がテレビで紹介されました

日本の受験、英語試験をめぐって混迷が続いているようです
受験生の立場にしてみれば、正直なところ
「いい加減にしてくれ」というのが本音でしょう
今まで「受験」のために勉強してきたことを今の時期から修正するのは
受験生にとって、物理的、精神的苦労を強いることになります

数年前にある留学コンサルタントから。「これからの受験生は大変です。英語の試験に四技能が組み込まれます」などという意見を聞きました。
この時点で私は、混迷するであろう日本の受験生を容易に想像しました。

受験英語に4技能を取り入れようが、ライティングの評価をどのようにしようが
そもそも日本の受験生の英語実用レベルが伸びるとは思いません
なぜならば、受験生に受験以外の目的で英語を使う必然性も
楽しみもそれほど見いだせないからです

採点する側の人々は、受験生をどのように捉えるのでしょうか。
読む書く聞く話すの4技能を受験に取り入れれば、本当に受験生が
グローバル社会に対応できると真剣に考えている試験する側の人間が
どれほどいるでしょうか。

ボーディングスクールの魅力の基本は、学校側の人間が生徒と
親しくなろうとするところにあると思います。
今時の言葉でいえば、生徒ファーストといいかえてもいい
また、同時に学校側の人間が自分の特性を発揮できるポジションにいることです
先生は教えることが好きでたまらないから、
講義形式のクラスよりも生徒との対話を好む
生徒もそのような先生にチャレンジすべく、素直に疑問をぶつける
ボーディングスクールでは、「受験」を生徒も先生も最優先していません
その証拠に、学校の入学難易度が増せば増すほど、SAT、ACTなどの
大学受験に必要とされている学力試験対策などやりません
それよりも、最後の最後まで、授業を大切にする
だから、ボーディングスクールのランクが上がれば上がるほど
生徒が選択できるクラス数がおおくなり、テンスクールズでは300を
超えるクラスを生徒が「自主的に」選択できます

日本の大学受験、近年の共通一次やセンター方式などは
アメリカの大学受験でのSAT、ACTなどを参考にしたと言われています
できれば、試験の「やり方」でなく、教育のあり方を参考にできないものでしょうか

♯9 自己を追求する-サバイバル力2019-12-19

<火曜日のブログに続きます>
留学は異文化の中のサバイバルゲームのようなものです。日本での学びの世界と同じような学習習慣では、やっていけないことがたくさんあります。そのなかで生き残っていくために、留学生は必死になって自分を変えていきます。

前回のブログで私の生き残り作戦を紹介させていただきましたが、自身の留学時代にサバイバル力をとても強く感じた出来事について述べさせていただきます。
私の学んだ大学、College of Marinの留学生のための英語クラスにはベトナムから移民してきた学生が幾人かいました。彼らは一様に小柄で大人しく、クラスでもあまり発言しません。70年代の終わり当時、主流を占めていたイランやアラブ系の留学生と比べると、極めて地味で目立たない存在でした。ところが、テストでの首位はいつもベトナム系移民でした。大学での留学生の日常においては、存在感が極めてなく、寡黙でシャイな彼らでしたが、そのアカデミック力はとても高く、確固たるその地位を他に譲ることはありませんでした。

考えてみると、彼らは故郷から逃れてきた人々です。帰る国はありません。命からがらかどうかは解りませんが、もうアメリカで生き残っていく道しか彼らは選択できません。私は身体的物理特性においては劣勢ですが、ベトナム系移民の精神の強さに人間の強さ、逞しさを実感しました。

また当時のアメリカの大学には、ベトナム戦争を経験した人たちが多く学んでいて、私の大学ももちろん例外ではありませんでした。20代の後半から30代前半でベトナム戦争体験者と思しき人が、授業で静かに自らの過去に言及する時、私は頭が真っ白になってしまいました。もしかすると、彼らは、現実世界で修羅場を体験したのかもしれません。その彼らの言動が私には重く、深く感じられました。

当時から比べると、日本はとても豊かになりました。生活の便利さも格段に向上しました。しかし、便利さ、豊かさがもたらした日常の問題点も加速度的に増えているのではないかと私は思っています。
そのなかで私はいままで教育に焦点をあててきたわけですが、若い時の苦労こそが自己の視野をおし拡げ、自身を成長させることを、留学を通じて実践できると信じるに至っています。