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ボーディングスクール留学 合格への道 その22019-08-22

<火曜日のブログに続きます>
前回のブログでボーディングスクール入試におけるインタビューとエッセイの重要性について述べました。

自分と出願校への相性を独自の視点で見極めて、それをどのようにエッセイに反映するかについて考えてみたいと思います。

日本と違いボーディングスクールでは、学校訪問をすることは、学校も志願者もお互いに必須と考えているところがあります。訪問することで、ウェブ情報では到底理解できないそれぞれの学校の日常を垣間見ることができます。また、施設見学は一般的にはそこで学ぶ生徒が行うために、学校生活についてもいろいろと質問することができます。5校、6校と学校を訪問するなかで、志願者自身も自分に合った学校を探しだすポイントを掴むようになります。
例えば、英語力に自信がない生徒であれば、当然のことながら留学当初の語学サポートはどのように行われるかということを知ることができます。また、留学生のためのESLクラスがあっても学校の規模の違いによる相性も実際に訪問することで感じることができると思います。

実際に学校を見て、自らの感性がどのようにそこで活かすことができるか、学習について学校が生徒に要求するものと自分の能力、技量が合っているか、学校社会の一員として参加するにふさわしい学校はどこかなどを踏まえてエッセイを完成させることができれば、合格への道は見えてきます。

では、どのようにしたらアドミッションスタッフの心を動かすようなエッセイが書けるのでしょうか。その鍵を握るのが、それぞれの学校のミッションステートメント(理念)です。

下記、マサチューセッツ州にあるMillbrook Schoolのミッションステートメントを例にとってエッセイの組み立てを考えてみたいと思います。

In a community where every student is known and needed, Millbrook prepares its graduates for college and lives of meaning and consequence by instilling the values of respect, integrity, stewardship, service, and curiosity.
つづく

ボーディングスクール留学 合格への道 その12019-08-20

日本とは異なる入学審査を行うボーディングスクールでは、出願校に対する志願者の理解とそれを踏まえた自己表現が極めて重要です。

ボーディングスクール入試においては、志願者の情報を数値に置き換えて、総合点数で合格を決定するということはありません。各校のアドミッションスタッフが最も望んでいるのは、志願者と自校のマッチング(適応性、相性)です。
TOEFL、SSATの点数、過去3年間の成績などは、そのまま評価されるのですが、結果としては数値化された学力で合否を決定することをアドミッションスタッフは望んではいません。これらの数値が極端に低い(悪い)場合は別として、それぞれのボーディングスクールが基準としている点数を大きく上回ったから「合格」といういわば安全圏にあるという予測はあてにならないのです。

合否を審査するアドミッションスタッフに大きなインパクトを与えるような要素はボーディングスクール入試においては、インタビューとエッセイ(5項目~8項目程度の作文)であることは間違えありません。
この二つで成功するために、志願者自らが納得する学校選びをすることがボーディングスクール入試の基本です。そのために、私が継続して述べてきたボーディングスクール教育(あるいは英語圏に特有ともいえる教育文化として)の基本であるmake a difference、you are specialを思い出してください。あなたがあなたらしくあるために自分をどのように表現するか、そして、自分を担当してくれるアドミッションスタッフに対しどのように自分を印象付けるか徹底して考えてください。
つづく

日曜コラム ボーディングスクールという環境2019-08-18



今まで英語圏のボーディングスクールをかなり訪問してきましたが、
その立地に共通点が見られます
都市にあるボーディングスクールは一つもありません
もちろん、ニューヨークやボストンなどの都会に私立学校が
ないわけではありませんが、寮生活を中心とした学校は都会にはありません

都市郊外の住宅地にある学校
ポツンと人里離れた地域にある学校
小さな村あるいは町のはずれにある学校
などがボーディングスクールの立地条件です
生徒たちはこの環境で長ければ中学高校という時代を過ごします

ある学校訪問で、夜に生徒をジュニアボーディングスクールに
送り返したことがありました
そこに至る道には街灯はなく、学校では夕食を終えた時間帯だったので
車のヘッドライトを消して、寮までの道を歩いていると
満点の星空に天の川がくっきりと見えました
ボーディングスクールの日常はそこで暮らす生徒にとって
家を懐かしむ要素を盛りだくさんに抱えています

ある生徒は「田舎生活はもう沢山」と言いました
またボーディングスクールと全く変わらない環境にあるリベラルアーツ系の小規模
大学に進学している日本からの留学生も多くいます

青春の真っただ中である時期を自然の中にある小さな学校社会で過ごすことで
生徒たちは何を学ぶでしょうか

ボーディングスクールが目指しているのは、
「自分自身を知る」ということであると思います
それは、ソクラテスの昔から人々が追求してきた
生きるための根本のように思います
そのことがしっかり練られる環境を、ボーディングスクールを作った人々は
模索し現在の結論に到達したのではないでしょうか

家族と離れ、日常に都市はなく、学習、運動、芸術、音楽といった手段で
自分を見つめる時期が若い時にあることはとても貴重です
その静寂、寂しさ、故郷への思慕などが、生徒をして人生をより深く
広く、大きく考えさせることになると思います

それ故に、ボーディングスクール教育は現代に
あって生き残っているのだと思います
そして、これからもその教育は世界から人々を集めるだけの魅力を
持ち続けることと思います

ボーディングスクール教育 - ♯2 変わるもの変わらないもの2019-08-15

<火曜日のブログに続きます>
ゴーストタウンという言葉があります。人が住んでいない街のことですが、この言葉はアメリカ社会の一面を象徴していることのように思います。一時期は人の住む社会として機能していたのに、なぜ人が去ってしまうのか、その理由は経済的魅力が消滅したからに他なりません。
デトロイトやフィラデルフィアの一部地域のゴーストタウン化は、それらの都市を都市ならしめた経済的基盤が社会の変化とともに失われたことによると思います。

日本では、シャッター街という言葉は聞かれるようになりましたが、街そのものから人がいなくなってしまう状況、すなわちアメリカのゴーストタウンのような状況はないようです。

私はそこに日本とアメリカの歴史の違いを感じます。アメリカはいわば若い国、イギリスからの移民によって作られた国であり、人々が住む地域に経済的魅力がなければ、さっさと見捨ててしまうこともあります。一方で、日本はアメリカに比べれば古い国で、人々が暮らす社会は、経済的な理由のみならず、その土地に対する愛着やこだわりという文化があるように思います。

ボーディングスクールの多くがゴーストタウンとならずに存続しているのは、単に進学実績が良いとか、生徒がやる気になったというご利益的な理由だけではなく、それらの根底をなす精神を学校教育にふんだんに取り入れているからではないかと私は思っています。その精神とは、間違えなくクリスチャン精神です。

その精神はそれぞれのボーディングスクールの理念(ミッションステートメント)に明らかにみることができます。

彼らが、生徒ひとり一人の個性を尊重できるような教育を追求するために、授業にディスカッション、研究調査発表の機会を十分に取り入れ、主要な学習科目以外の芸術、音楽、社会活動といった課外の活動にも情熱的に取り組み、学校を一つの大きな家族と考えて運営できるのも、そこに関わる人々すべてのなかに、博愛、奉仕、共存といった精神があるからに他ならないと思うのです。

ボーディングスクールで日本からの留学生が学ぶことは、英語という言語だけではもちろんありません。日本に比べれば異文化であるボーディングスクールで、留学生たちは、懸命にその社会に適応するための努力を重ねるわけですが、学べば学ぶほど、自分とは何かという教育の原点に近づくように思います。
つづく

ボーディングスクール教育 - 変わるもの変わらないもの2019-08-13

アメリカのボーディングスクールをより解りやすくするため入学難易度順に5段階のランクに分けて私は考えていますが、いずれのランクにあっても活気があり伸び盛りの学校は、施設の増築や改築などが必ずといっていいほど目につきます。親しいボーディングスクールとなると、ヘルメットを渡されて校長自らが工事現場に我々を案内してくれるなどということがあります。

話は飛びますが、ペンシルバニア州、フィラデルフィアという都市は「変化」という視点で私の印象に極めて深く残っています。映画「ロッキー」(1973年第一作上映)、「フラッシュダンス」(1983年上映)の舞台になったこの都市ですが、この二つの映画を観れば、フィラデルフィアが工業や商業の都市として活気をおびていたことがわかります。
90年代の前半にこの都市を訪問したのですが、その時案内をしてくれた学校スタッフが「この街は、造船や工業で栄えていたのだが、今は見る影もないね。それらの産業は、保険会社や証券会社にとってかわられたよ」と言っていました。

ボーディングスクールのポジティブな変化とフィラデルフィアのネガティブ的な変化のコントラストがとても興味深くアメリカを考えさせられました。

フィラデルフィアのみならず、車の街として隆盛を極めたミシガン州のデトロイトも今では、都市機能としては、現代のソフト産業が街を支え、見捨てられた車工場やそこで働いていた人たちの住宅施設も廃墟化していると思います。

都市でさえ、時代の変化と共に人々が大量に移動して、大きくかたちを変えていくのに、ボーディングスクールは、100年以上も小さな社会を存続させているところがとても多くあります。
また、学校での生活費を含む授業料もこの四半世紀の間に倍以上に高騰しているにも関わらず、多くの学校のプラスの変化は衰えることがありません。おそらくですが、ボーディングスクールを支えているのは、アメリカを支えている生き方の原点のようなものなのではないかと思います。
その背景には、クリスチャンの精神があると思いますが、それは排他的、独善的なものではなく、慈愛、利他の精神、社会奉仕といった教育本来の精神に満ちたものではないかと思います。
つづく