教育発想の違い - ボーディングスクール教育2017-05-22

教育で最も重視されることは、やる気を起こさせることではないかと思います。
学校という組織で、古今東西を問わず、教育が追求していることは、
そこで学ぶ生徒がどのようにしたら、主体的に、そして自主的に
問題に取り組むかということではないかと思います。
また、そのことは、今現在でも、一所懸命にそれに携わる人によって、
恒に考え続けられていると思います。

日本が選択した教育方法は、欠点修正型、アメリカのボーディングスクールが
選択したのは、長所伸長型と私は思います。
どちらが正しく、どちらが間違っているわけではなく、
それぞれの方法は、その国や地域の社会、文化に適合するように
生み出されてきたものではないかと思います。

欠点修正型の長所は、統一性、規格性、正確性などではないかと思います。
スポーツを例に取ると、フォームの修正がやかましく言われ、
理想的な方法が繰り返し示され、基礎が徹底して教えられ、それを
受ける生徒は忍耐や我慢といった精神力を身につけます。

長所伸長型の長所は、フォームや基本にそれほどこだわることなく、
我流であっても、その良いところを褒められるので、やる気が喚起されます。
統一されなくても、規格に当てはまらなくても、正確性に欠けても、
結果が良ければ、本人がより高い目標に向かって伸びていくことができます。

おたがいの教育のかたち、その逆が欠点になります。

統一性、規格性、正確性の欠点は、個性や特性がそれほど重視されず、
同じ発想や方法によって教えられるために、教育が単調になります。
繰り返しやること、徹底して覚えることなどが、小さな時からの習慣になり、
それが良いと思い込むことで安定した結果を作り出せるかもしれませんが、
そのラインから外れると、選択の余地が極端に少なくなります。

個性が尊重され、特性が生かされる教育は、主体性や自主性が基本になるので、
覚えることや日常の学習作業は、自分が管理しないといけません。
与えられるのではなく、獲得する、身に着けるという基本が必要です。
小さなころから、そのような訓練を日常で受けていればいいのですが、
いきなり、自主的に学習をするといっても、簡単にできることではありません。
つづく


日曜コラム 読書と図書館2017-05-21

読書することを留学する生徒たちに勧めています。
その理由は、今まで読書が好きな留学生が留学生活で良好な結果を
出していること、ITが発達した現代ても、
紙の媒体による本が生き残っていること、
個人的な経験からも、図書館を活用することが、日常生活のなかで
欠かせないばかりか、仕事、生き方などで大いに役立っていることなどが
挙げられます。

飛行機や新幹線は言うに及ばず、毎日の電車の中でも読書は欠かせません。

テンスクールズの一つ、アメリカ、ニューハンプシャー州にある
フィリップスエクセター・アカデミーの図書館は、9階建てで、
蔵書数は10万冊と生徒のツアーガイドが解説してくれました。
「この図書館は高校では世界一です」と誇らしげに語るガイドさんでしたが、
確かにエクセターの図書館は、単独でも機能する情報リソースセンターである
ばかりでなく、建物として、そのデザインや機能性も感心させられます。
空間の使い方、内装とデザイン、この学校の生徒たちは、
自校の 「図書館」に特別な感情を抱いていると思います。

私の住む街、川越の図書館、蔵書数は30万冊だそうです。
なんとエクセターの3倍の本があります。
分野別に整理され、かつての名著はほとんど備えてあるばかりでなく、
検索も簡単にかつ、パソコンがあればどこでもできます。
また、司書の方々は例外なく親切、丁寧、そして図書館利用の
エキスパートで、本に関する質問には的確に答えてくれます。
とても品の良い人たちです。

家内は、図書館に行くと、返却図書の棚を必ず見るのだそうです。
そこには、人気作家や今、読まれている本が並んでいることが多く、
予約してもなかなか読めない本が、ぽつんと置かれていることが
あるのだそうです。

タブレットで読める本が増える中で、
本屋さんに行くと、膨大な紙媒体がきっちりと積まれています。
これらの本は、おそらくこれからもパソコンやタブレットに取って
変わられることはないと思います。
本を読むという時間、空間、作業が与えてくれる
安堵感、ワクワク感、感動などがすべて、画面に移行できるとは
思いません。

留学生たちにとっても、図書館という空間は、特別なのだと思います。
生徒数は日本の学校の数分の一のボーディングスクールですが、
それぞれの図書館は、生徒や先生たちにとって、
学校生活の様々な思い出を創造した空間であるかもしれません。

週末のルーティーン、今日の午後も図書館に行こうと思います。

歴史の捉え方 ボーディングスクールの授業2017-05-20

留学希望の生徒に嫌いな科目を尋ねるとかなりの確率で歴史が出ます。
なぜ歴史が好きでないかというと、「暗記することが多いから」だそうです。
アメリカのボーディングスクールでは、歴史の授業はディスカッションが
中心になり、暗記する項目は日本に比べると
「ない」といっても過言ではないでしょう。

精神も体も絶好の成長期にある10代の前半の生徒たちにとって、
知識の吸収の仕方は、彼らのその後の人生を左右するといってもいい、
重要事項になると思います。
この時期に蓄えられた知識は、一生使えるものではないでしょうか。
それに積極的に取り組めるか、あるいは嫌々ながらやるか、
彼らの人生の明暗を分けることになるかもしれません。

歴史を「暗記するもの」と
ボーディングスクールの歴史の先生たちは考えません。
「試験に出るから覚えなさい」とも言いません。
そもそも、先生そのものの興味は、歴史という自分の専門領域を通して
彼らと生徒との関わりにあります。

たとえば、関ケ原の戦いという日本史上の重要事項を例にとれば、
それがいつ、誰が、どこで起こったのかということを暗記させるのではなく、
なぜそれが起こったのか、結果として歴史がどうなったのか、
君が東軍の大将であればどのように動いたか、
西軍が勝ったら、今の世界はどうなっていたかを考えようなど、
ひとり一人の生徒が歴史に興味を持つような質問を考えます。

ボーディングスクールの先生は、自ら教える15人ほどの生徒が、
どのようにすれば、歴史を通じて、生徒たちがこれからの長い人生で、
他者とのかかわりを学べるかということに授業の核心を持っていきます。

歴史を通じて、自分の人生をシミュレーション(想像)することに
多くの生徒は暗記とは違う「自分のこと」として興味を持ちます。
司馬遼太郎さんの歴史小説が、これだけ愛読されるのも、
彼が愛した日本の歴史のとらえ方に、読者が共感を覚えるからと思います。
歴史をより身近に、自分にも起こり得る、あるいはそのように思うと
自分の世界観や生き方のレンジを広げることができるから、
いつまでも彼の作品は多くの人たちに愛されます。

ボーディングスクールの歴史の先生も、司馬さんに負けず劣らず、
歴史が好きな人たちだと思います。
彼らが自分の授業の説明を始めると、なかなか止まりません。
自分の分野に関して、限りない愛情を持っているからそうなると思います。
そのような先生に教えられる歴史は、生徒たちに人生や世界観への
限りない興味と愛情を育てる一助となるに違いありません。

ボーディングスクールの卒業式について2017-05-19

日本の学校に比べて、生徒数の少ないアメリカ、カナダ、スイスの中学、高校の卒業式は、おおよそ屋外で行われます。6月上旬、日本は梅雨に入る時期ですが、欧米の天気はこの時期、おおむね晴れることが多いことも屋外での卒業式に関係していると思います。

日本の学校に比べて、生徒数が少ないボーディングスクールでは、来賓の人たちの長いスピーチよりも卒業する生徒が壇上に立って、自らの感想を述べたり、学校生活について語ったりすることが大きな特徴になっていると思います。

アメリカのボーディングスクールのとてもユニークな伝統として、男子卒業生が式を終えたあとに葉巻たばこを吸うということがあります。葉巻は英語でシガーですが、卒業式が終えると、男子生徒がシガーをふかしているという光景に驚く日本の親御さんたちも多いと思います。
シガーをふかすことで、大人の仲間入りということなのでしょうが、未成年者の飲酒に対しては、極端に神経質なアメリカですが、喫煙については驚くほどに鷹揚なところがあります。
シガーは、本来、肺までその煙を吸い込むのではなく、ふかして香りを楽しむものですから、高校を卒業する男子の儀式としての葉巻の喫煙は、精神的に背伸びをしたい生徒たちの卒業式当日、一日だけの特別の遊びなのかもしれません。
しつけについては、かなりうるさいボーディングスクールも卒業式の男子の葉巻喫煙については、咎める先生はいないようです。

式が終わったあと、屋外の大きなテントの下では、通常、食事がふるまわれます。「親が学校に招待される時の食事は美味しい(普段はそうではない)」とは、多くの留学生の実感ですが、宴会よりも大雑把でラフなこの集いに、卒業生、かれらの家族、そして学校の先生、スタッフが歓談する光景が、大人数の日本の学校の卒業式では見られない光景でもあります。

卒業式への参加を考えている日本のご家族へのアドバイスは、宿の確保はなるべく早く行うことです。しかしながら、学校のある地域の宿泊場所は、かなり前から予約がとれなくなる可能性があります。そのような時は、学校から半径30キロくらいに検索範囲を広げれば、容易にホテルを確保することができます。

我が子が世話になった先生、スタッフとの挨拶や歓談は、卒業する本人が通訳をしてくれますから、問題ありません。卒業式というセレモニーそのものには、生徒の親が参加して、スピーチや解説などはしません。我が子の卒業式を楽しんで、その後、現地でゆっくりして帰国すれば、一生の思い出になることでしょう。

自己形成の原型-ボーディングスクール留学2017-05-18

中等教育機関への留学は、それ自体で完結するのもではありません。その次に大学進学が控えています。さらには、どのような職業を選択したいのかということも進学と同様にとても重要です。

留学が始まれば、留学生たちは日々の生活がとても忙しくなります。授業が終わった後、消灯までの自由時間は1時間もありません。勉強の時間さえも自由にとれるものではありません。心と体のバランスをとても重視するボーディングスクールにおいては、日本での学校生活とは全く違った文化があると言えます。

忙しい生活のなかから、進学や職業などについて、そもそもゆっくりと考えることはできないと常識的には発想されると思いますが、進学や職業の選択は、考えて出来上がっていくものではなく、自然と方向性が浮かんでくるのではないかと思います。その基本は、自分の得意なものごと、飽きずに継続してできること、それに没頭していて楽しいことなどではないでしょうか。

自分が好きなことというのは、忙しさや、大変さのなかから、形作られるのではないかと思います。どうにか時間や場所をやりくりしてまで達成したいと自分自身が納得できるからこそ、とても大事にしたいと思い、なおかつ続けられるのではないでしょうか。

10代半ばにして、それが発見できれば、受け身の学習や生活から抜け出して、能動的な学習や生活が可能になると思います。それが、自己表現力を増し、プレゼン能力を獲得し、問題解決力を身に着けることに繋がっていくと思います。

学習力という観点のみでは、到底これからの社会で自分の納得するような人生を全うすることは難しいのではないかと思います。ものを知っていることが、大きな知的財産であり、それが十分に評価された時代はすでに過去のものです。わからないこと、知りたいことは、スマホやパソコンが即座に答えてくれる時代になりました。
テレビでは、まだまだ知識が売れますが、クイズ番組を見ている人たちの意識もやがては変わっていくことでしょう。

10代の留学は楽しいことばかりではありません。自分が乗り越えなければならない辛さ、苦しさなど 、留学初年度は特にたくさんあります。端的にいえば、英語力がないために、学習も生活も不自由の連続です。
それを乗り越えるのは、本人です。先生や周囲の人々、そして家族は本人を応援、支援はできますが、本人に代わることはできません。

そのような状況が、留学生にその年齢に関係なく、自分自身を見つめる習慣を救っていくのではないかと思います。