日曜コラム 勉強とは、勉めて強いることでしょうか2017-03-12

シェークスピアの昔から学校とは
勉めて強いるところという通念があったようです。
ロミオとジュリエットでの一場面、

「恋人のところへ行く時は、学校の生徒が教科書を離れるときのように嬉しいが、
恋人と分かれるときは、重い本をさげて学校へ行く時のように悲しい。」

やれやれ、16世紀の昔から、学校、勉強は子どもたちにとって、
楽しいところではなかったようです。
日本の寺子屋にしても、子どもたちに課せられる課題や義務は
彼らにとってワクワクするものでは決してなかったでしょう。

私的な経験で恐縮ですが、小学校二年生から父の下で仕事をしていた人に
勉強を教えてもらいました。今でいうところの家庭教師です。
その人のお父さんは出征してお亡くなりになり、
彼のお母さんは、女手一つで3人の子を育て上げました。
私の家庭教師の先生は、末っ子で、当時父が務めていた会社の
夜間高校を成績優秀で卒業し、社長賞をいただいた秀才でした。

四年生になった時に、隣に住んでいた同級生、
カズオ君とその先生のご自宅に通うことになりました。
週に3回、午後七時先生の家の玄関を開けて、
「こんばんは~」とやるわけですが、
私とカズオ君の最も嬉しい瞬間は、先生のお母さんが襖の向こうから
「ごめんねぇ、まだシゲミツ、帰ってきていないの、仕事が忙しいみたい」
我々は、咄嗟に「え~、残念・・・」と低く悲しげな声で
ご返事をするわけですが、その時、カズオ君と私は、
満面の笑みで両手を突き上げるのでした。
二人との帰りの自転車、行きの二倍の超スピードでした。

今、勉強の概念が変わろうとしています。
強いられるスタイルから自主的にスタイルへ。

おそらくそれは、世界の変化に連動しているのではないでしょうか。
知識はどれだけあっても無駄にならないという時代から、
それは、必要に応じて、必要なだけ、取り出すという選択の時代に
世の中が大きく動いているように思います。

それ故に、言われたことを正確に実行することを積み重ねて、
大きな実績を築いていった時代から、
自主的に発想し、自主的に行動し、結果に結びつけるという
自分スタイルがオーケーどころか、求められる時代になったのでは
ないかと思います。

「若い時にもっと勉強しておけばよかった」と今まで、
何度もいろいろ人から聞いてきました。
それはとりもなおさず、勉強がそれほど苦痛なものではなく、
知れば知るほど面白いと思うからこそのおとなの発言なのでしょう。

勉強は楽しいものだということを、ボーディングスクールの先生たちは
教えるために日々、一所懸命に学校で考えています。

日曜コラム 新学期の始まり2017-01-08

正月の第一週が終わります。

月曜日から日本では学校が始まり、朝の通勤時間帯の混雑が日常に戻ります。
日本では、冬休みは正月が中心でその前後1週間程度ですが、
英語圏の冬休みはクリスマスを中心に2週間程度ですから、
正月三が日で北半球に留学している生徒たちの八割くらいが学校に戻ります。
お正月気分が抜けないまま、混雑激しい空港から旅立つ留学生たちは、
初年な度は少しばかり辛いでしょうが、2年目以降は、
新たなお正月ルーティーンに慣れるように思います。
すなわち、楽しいことは年内にいろいろと計画するということです。

南半球に留学している生徒たちは、正月休みは二か月に及びます。
そして、1月末から彼らの新学年が始まります。
学校に戻るとそこは夏、日本との季節の違いに驚くのは、
初年度の数日間だけで、若い彼らは新たな環境にすんなりと
適応して行くように思います。

北半球に留学している生徒たちのほとんどが日本でいえば、
北海道のような気候の地域に戻っていきます。
この時期の最低気温は摂氏-20°も珍しくありません。
朝、シャワーの後、寮からダイニングホールに行くまでに「髪の毛が凍る」、
「濡れたタオルが瞬時にバリバリの板のようになる」など
その寒さは日本では経験のない生徒が多いのですが、
それでも「帰る」などと意気地のないこと言わないところが、
年齢性別に関係のない、人間のとしての順応力の高さと生きていく力の証です。

北海道のように降雪が当たり前のアメリカ東海岸への学校訪問は
この時期、なるべく避けるようにしました。
しかし、後期からの入学を希望する生徒の学校への同行や
ニュージーランドへの学校訪問はこの時期でも問題ありません。

2017年、成人の日には、厳寒の地カナダにいます。
今年最初の同行のミッションは、後期より入学する生徒の
入寮と学校生活準備のお手伝いです。
先着したお母さんからのメールによるとトロントから現地に向かう
途中での外気温は-13°だそうです。
外さえ出なければ、室内はTシャツでオーケーなのが、
北米の東海岸地方の習わしですが、今回は安全を考えて、
レンタカードライブを避けるとともに、
学校施設見学で長時間(といっても20分くらいですが)
外に出ることもありません。

今年もまた、留学生たちの忙しい学校生活がいよいよ始まります。


#2 メンター制度について2016-03-02

<昨日のブログに続きます>
日本からの留学生にとって、メンターというボーディングスクールの制度がうまく使えないのは、英語力の問題というよりも、日本と英語圏の人間関係の認識の違いにあるように思います。

日本の学校の場合、基本的に教育は与えられるものと生徒たちは考えていると思います。覚えるべき教科書が与えられ、それに基づいて授業が行われ、先生が教科書の要点を解説します。更に試験に出る箇所をより詳しく学び、繰り返して参照するという方式に慣れてしまっている日本の生徒は、課題が与えられてそれについて調べたり(リサーチ)、考えたりすることに慣れていません。

この学校での習慣は課外の活動においても同様に見られていて、先輩にあたる人たちが後輩の世話をやく代わりに、後輩は先輩の指導やアドバイスに従うというのが、日本式メンターではないかと思います。
英語圏のメンターというのは、日本でいう先輩後輩関係ではありません。立場的には対等と言ってもよく、メンターにあたる人は、自分の持っている知識と経験から新入生にアドバイスをします。Do you have any questions?というのがメンターと新入生の関係の挨拶みたいなもので、Yes, I do. I have a question about・・・というようにコミュニケーションが進むのが、メンターにあたる人にとってもっとも自分の力を発揮しやすい状態なのだと思います。

助けは与えられるのではなく、こちらか求めるもの、そして求めなければ、与えられないということが、留学生に理解できたときに、メンター制度をもっとも上手に使うことができるのではないでしょうか。
留学生はいつでも何が自分にとって問題なのか、その問題をどのように解決するのが良いのかについて自問自答を繰り返し、自分自身を理解することで、メンターという制度を生かすことができると思います。

この問題解決のサイクルというのは、知識を増やすことだけに集中する勉強と違ってかなり汎用性の高い自己啓発になり、高等教育へと結びつけられると思います。

日本では、高校までは、教科書がありますが、ボーディングスクールには日本のような教科書はないといえます。できることであれば、教育のありかたの違いについて、メンターにあたる人と留学生が話し合えれば、現地への慣れも加速されると思います。

今までとは違う学校のり方に着目して、その素朴な疑問をメンターにぶつけることができれば、それは異文化理解の大きなステップアップとなると思います。

これからの教育 - 学ぶ環境2016-01-05

ボーディングスクールはその環境という点から考えると、都会にある学校は一つもありません。300校あまりのTABS(ボーディングスクール協会)加盟の学校のなかで、Hill School、Wyoming Seminary、Brewster Academyなどは小さな町中にありますが、ほとんどの学校が人里離れた田舎、町はずれ、都市郊外にあります。ボーディングスクールのポータルサイト、Boarding School Reviewによると生徒数の平均値は300名程ですが、日本の学校と比較すると、その敷地と建物の数は数十倍あります。
ボーディングスクールの建物が日本の学校に比べて多いのは、学校敷地内に寮生、先生および学校職員の住居があるからです。

ボーディングスクールの立地条件は小学・中学ボーディングスクール、高校ボーディングスクール、そして大学と同じかたちになります。たとえば、小学・中学ボーディングスクールである、Eaglebrook School、高校としてのPhilips Exeter Academy、そしてアイビーリーグ校の一つであるYale Universityは立地条件と建物の構成という点において、その規模が小から大になっていくといえます。
この3つの学校を案内されてみると、学校敷地にある建物の半分くらいが生徒と先生を収容するものです。アメリカの国土は日本に比べてはるかに広いため、学生の寮を縦長にする必要がなく、学校は生徒数を増やすとその分、学校面積を拡げていきます。

施設の充実という点でもアメリカのボーディングスクールは努力を怠りません。古い建物は生徒や先生の使い勝手が悪くなるために、どんどんリノベート(改築)、または新設されます。この点でも小学校から大学まで、アメリカの私立で寮生を受け入れいれている学校では、常にといっていいほど、学校のどこかで工事が行われています。

建物が新たになるあるいは新設されるという恒常的な変化は、人材という点でもいえると思います。一つの学校に30年を超して在籍する先生はボーディングスクールの場合、数人はいますが、日本に比べると先生やスタッフの移動がかなり頻繁に行われます。そのサイクルは3年から5年くらいで、先生やアドミッションスタッフは学校を移動していきます。そして、最終的には自分が卒業した学校に戻るというのが、ボーディングスクールで働く人たちの一つの理想形としてあるのかもしれません。彼らの名刺で名前の後に二けたの数字があるのは、一般的にその人の卒業年度を示しています。

情報や施設が都市を中心に展開される日本とは、全くことなった環境がボーディングスクールの大きな特徴といえると思います。

#2 自主学習について ボーディングスクール2015-11-17

<昨日のブログに続きます>
ボーディングスクールでの自習時間はジュニアボーディングスクールが1.5時間、高校としてのボーディングスクールでは2時間が標準です。学校授業以外で2時間程度の勉強では、高校進学、大学進学の準備にはほど遠いと思われるかもしれません。

日本であれば、目標を達成するための素材は生徒自身が考えるというよりも、与えられます。入試の「傾向と対策」を専門家の人たちが考え適切な指導が与えられます。テストに合格すれば、目標達成がなされるわけですから、集中するべきところは初めから決まっています。そこまでにいかにして早く到達するか、また、そのことにいかにして早く気づくかが問題とされるため、「今でしょ」となります。

アメリカの入試においては、大学、高校、中学のいずれのレベルにおいても、試験だけで合否が決まることはありません。故に、SSAT、SATといういずれの試験の内容も日常での学校生活をしっかりこなしていれば、できるように設計されています。試験にそれほど特化していないのは、その点数だけで合否を判断することが合理的でないと彼らが考えているからにほかなりません。

結果的に、日々の授業そのものが大切になってきます。では、その授業で何をやっているかと言えば、ディスカッションが盛んに行われていると言えます。ディスカッションを行うためには、与えられたテーマに対して「自分」がどう思い、それがどのような根拠によって支えられているかを「考え」なければいけません。
生徒たちは、授業や課題に対しての準備のために、いろいろな情報を調べ、検証し、自分のものとして、本番に臨みます。時には、数十ページを読んでくるという宿題が与えられますが、問題は読む量ではなくてそこにある考え方や主張を掴むことにあります。先生は読んで覚えることを期待しているわけではありません。

ボーディングスクールにおいても、その次の大学においても、アメリカの場合、自ら考えてそれを発表することが、とても重要視されています。日本の場合、自らの意見というのは、大学に入ってからでないと重視されないのかもしれません。なぜならば、高校までは試験に受かることがまぎれもないゴールになっているからです。