多様な価値観の受け入れ 2017-02-21

新たな価値観の発見とその受け入れ過程に留学の素晴らしさがあると思います。

中等教育機関への留学の場合、日本人生徒たちの留学前の学校における
価値観はおおよそ、テストの点数になっているように思います。
点数が良ければ、良いほどいいので、それを促進するものは良く、
それを阻害するものは良くないというそれは、とても明快です。

その価値観を何の疑問もなく受け入れられる生徒はいいのですが、
思春期を目前にしてか、あるいはそれに突入しているおおよその生徒が
学校という生活の場にいろいろな疑問を持ち始めます。
そもそも好きでもなく、興味も持てないことに対して、半ば問答無用に
覚えることを強制されることに疑問を持たないほうがおかしいのかもしれません。
あまつさえ、テストの点数を盾にとられては、生徒たちのエネルギーは、
抑圧に耐えられない状況にあってもおかしくはありません。

留学をすると、今までの価値観にコペルニクス的転回が起こります。
受身主体の学習から、能動に学びが変わります。
一言でいうと、英語圏、特にボーディングスクールでは、「どう思うか」、
「どうしたいのか」ということが絶えず自分の周りで起こり、もちろん自分も
その流れの中に巻き込まれることになります。

留学前、おおよそが決められていた学校世界から、
急に意見を求められるようになり、留学生たちは困ります。
どう思うかなどということも、日本の学校での日常においては、
あまり重視されていなかったために、留学生たちは混乱もします。

留学とは、多様な価値観を受け入れることへの挑戦です。

新たなやり方、考え方を受け入れるかどうか、
留学生の人間としての資質が問われることになります。

留学して新たなこと、それはもちろん言葉からスタートします。
日本では、結局、知っているかいないかが単調に問われるだけでしたが、
留学の現場では、のんびりとはしていられません。
覚えるのではなく、使えなければならないのが留学先での英語です。
日本での学校生活と比べると、不思議ともいえると思いますが、
中等教育機関に留学して、英語が話せないという人はいません。
そのように「ヒト」は頭の中でプログラムが出来上がっているように思います。

英語が話せるようになるということは、留学した本人の最初の自分の能力への
気付きとなり、その延長線上にさまざまな可能性が展開することになります。
テストの点数を追うという価値観からしばし遠ざかりますが、心配はいりません。
点数よりも自分がどうしたいのか、何を求めたいのかが、
留学によってより鮮明になります。

留学先には、少なくとも15か国くらいからの生徒が学びます。
能動的学習以外にも、生活面、社会面での価値観は多様になります。
「違ってあたりまえ」という意識は、留学生を人間として大きくすると思います。